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其之八

他の芸能とのつながり⑤ 文楽


文楽は、浄瑠璃(義太夫節)と三味線、それに人形遣いの三位一体で成り立っている世界遺産です。義太夫節創始者の初世竹本義太夫は常磐津五世家元宮古路豊後掾が豊後節(常磐津節の前身)を広めた頃と時代を同じくしています。歴史を紐解くと義太夫節と豊後節は良きライバル関係にあったようにも思えますが、大阪に根を下ろし、人形遣いと道を共にした義太夫節と、江戸や名古屋、そして京都に東奔西走し、さらに歌舞伎の演奏としての道を進んだ豊後節、常磐津節は現在では全く別の道を歩んでいます。しかし、錦絵の中には常磐津の出語りで人形を遣っているものもあり、詳細は不明ですが過去にコラボレーションしたこともあるようです。しかし、多くの文献にもあるように浄瑠璃特有の語り要素の強い義太夫節は人形芝居に非常に適し、語り要素と唄い要素のバランスの良い常磐津、清元はやはり歌舞伎演奏との相性が抜群なのは疑う余地のないところです。また、文楽起源の歌舞伎に輸入した作品を「丸本物」といいますが、常磐津の素浄瑠璃にも「忠臣蔵」「加賀見山」「安達原」「油屋」「朝顔」など時代物・世話物の丸本作品が多くあり、戦後、文楽では失われてしまった「堀川」のとある箇所を、当時の常磐津家元が逆輸入で義太夫の方に教えて差し上げた、という逸話も耳にしています。



其之七

他の芸能とのつながり⑤ 筝曲(三曲)


筝曲は流派が数多に存在し、主に山田流と生田流に大別されています。生田流のとある流派の友人から「山田の方が全体的に古典作品を主として、生田の方は前衛的な傾向が強いですよ」と教えていただいたことがあります。古い文献にも古浄瑠璃の一つ「河東節」が山田流に影響を与えたともあり、能楽よりは仕事上ご一緒する機会がありますが、基本的には筝曲を伴奏とした常磐津曲はありません。ですが、常磐津作品「忠臣蔵二段目」には「六段の調べ」、「三社祭」には「八千代獅子」が部分的に三味線に置き換えて挿入され、「阿古屋」「歌寿美三曲」では三味線(三弦)と箏と胡弓(=三曲)で演奏できるような作曲となっています。




其之六

他の芸能とのつながり④ 狂言


能楽は先のシテ方(五宗家)に、ワキ方、囃子方が設置され、大蔵流と和泉流が滑稽譚を題材とする演目を「間狂言(あいきょうげん)」として上演する「狂言方」が置かれています。古くは「鷺流」もありましたが、明治維新後、武家の庇護を失った時に歌舞伎方に秘伝の「釣狐」など様々な曲を流出させたとして断絶されてしまいました。これは常磐津の明治期に作られた曲、狂言の釣針を題材とした「釣女」という作品の詞章「名に大蔵や鷺流の…」に痕跡を残しています。能から取材した曲に「老松」「紅葉狩」「羽衣」「善知鳥」「隅田川」、狂言に取材した曲に「釣女」「身替座禅」「うつぼ」「武悪」などがあります。




其之五

他の芸能とのつながり③ 能


室町時代に発生した「武家の式楽(儀式的芸能)」である能楽と、江戸の華やかな元禄文化を根本とし町人の娯楽として誕生した「歌舞伎」は性格がものすごく異なります。能楽は観世流、宝生流、金剛流、金春流、喜多流という流派(五宗家)がありますが、なかでも代々の宝生流宗家と常磐津家元の先祖は同じ広尾祥雲寺が菩提寺となっております。また、明治期に謡曲から多くの曲が歌舞伎に移植されました。これらの曲は能舞台を模した松羽目板を用いることから「松羽目もの」というジャンルで広く扱われておりますが、謡曲に取材はしているが松羽目板は用いない作品も多数あり、謡曲取材の曲全体を「能取物」、そのなかでも松羽目を用いる作品群を「松羽目もの」と分けるんだよと、ある先輩に教えて頂きました。



其之四

他の芸能とのつながり② 日本舞踊


日本舞踊とも非常に近しい間柄です。五大流派といわれる歴史のある西川流、歌舞伎と密接な藤間流、坂東流、令嬢の習い事として広く門弟を育成している花柳流、若柳流は御流儀によって差異はありますが元は幕末に初代御家元が歌舞伎の振付師や役者自身であった場合が多く、古典の歌舞伎舞踊を中心に扱っているので歌舞伎伴奏の常磐津節、清元節、そして長唄の作品を特に多く振付けて踊りますが、歌舞伎では扱われない三味線音楽「一中節」「新内節」「大和楽」「地唄」なども伴奏音楽として用います。そして、数多ある日本舞踊の御流儀の内、京舞井上流は能に近しい御流儀で地唄を多く用いていますが、「常磐の老松」や「千代の友鶴」など常磐津のご祝儀曲も取り扱っています。


其之三

他の芸能とのつながり① 歌舞伎


他の伝統的な芸能との関連性を考えたいと思います。まず、「歌舞伎」とは切っても切れない深い間柄です。同じ歌舞伎伴奏音楽の長唄はもっとも歌舞伎伴奏に適しており、お囃子とともに演奏されます。歴史上、竹本連中は人形操りの芝居(現在の文楽)で活躍していた浄瑠璃語り・三味線弾きが歌舞伎に移籍したとされていて、現在は歌舞伎の専業として芝居のナレーションを演奏しています。この竹本連中(義太夫節)は語り物※の中心にあり三味線も大きな「太棹」を用います。長唄は逆に歌い物※の中心で小ぶりな「細棹」を用います。豊後系浄瑠璃といわれる常磐津節では中間の「中棹」を用い、語り口も義太夫節の語る要素とうたう要素のバランスがよく重厚で品がいいとされています。また常磐津節から富本節を経由して成立した清元節は江戸らしい粋で伊達な音曲と言われています。このように歌舞伎では四者四様の個性を持つ音楽がさまざまな作品の伴奏を行い、舞台を彩っています。 


※日本の音曲は「語り物」と「歌い物」に大別されます。前者には義太夫節、常磐津節、清元節などから説教節、琵琶、浪曲、それに能楽など、ストーリーを持った叙述的な作品を扱うのが特徴で歌詞ではなく「詞章」という登場人物のセリフを語ります(能楽の場合は謡う)。後者は長唄、地歌、端唄、それに雅楽の中の朗詠や催馬楽などです。抒情的、詠嘆的な音階に忠実なことが特徴です。

其之二

江戸時代のカラオケ!?



よく時代劇を見ていると、「常磐津の師匠」と耳にします。現在と比べれば娯楽の少なかった江戸時代、男性は吉原、女性は歌舞伎観劇というのが一般的だったそうです。今でいうと吉原→銀座のクラブ、歌舞伎→ジャニーズ、そして常磐津→バンド・カラオケだったのだろうと思います。常磐津の師匠は若い女性である場合が多く、旦那衆が花柳界や吉原(銀座のクラブ)で社交の為に常磐津(カラオケ)を口ずさんで、その練習のために若い女師匠(ボイストレーナー)に時に厳しく時に優しく教えてもらう、といった図式だったのだろうと思います。現在でも旦那衆が花柳界で遊ぶ際、歌謡曲ではなくて常磐津や河東節などの古典を嗜み披露するのが、その名残なのだろうと思います。


其之一

古浄瑠璃について



従来は、扇で拍子をとって語っていた「浄瑠璃」に、渡来した新しい楽器「三味線」が組み合わされた元和元年(1615年)から、狂言作者「近松門左衛門」が浄瑠璃太夫「竹本義太夫」の為に「出生景清」を書いた1685年までの70年間を「古浄瑠璃」と呼び、「常磐津」「清元」「新内」など現在まで脈々と続いているものと区別しているそうです。現在のように流儀として成り立っていたわけではなく、技能の長けた一師匠が数人の弟子に芸風を伝授し、更にその弟子が独自の芸風を創始する、といったスタイルでした。太夫自身が浄瑠璃を語りながら人形を操ったり、三味線の弾き語りをしたり、座を構え興行主であったりしたそうです。