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「大序・鶴ヶ岡」

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あらすじ

足利尊氏の弟足利直義は兄から敵新田義貞の兜を鎌倉鶴岡八幡宮へ奉納せよ、と命じられていた。義貞討死時には四十七個の兜がその場に落ちていて間違った兜を奉納するわけにはいかないという足利家の執事「高師直(こうのもろなお)」と是非を巡って口論する御馳走(接待)役の「桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)」を調停する「塩冶判官(えんやはんがん)」、結局、直義は義貞の兜がどれかを知る塩冶判官の妻「顔世御前(かおよごぜん)」を呼び出す。彼女が蘭奢待(らんじゃたい)という名香が焚かれた本物の兜を選び出すと、直義は諸大名を引き連れその場を去る。後に残った色欲爺の師直はかねてより心を寄せていた顔世に恋文を渡しちょっかいを出す。そしてそんな友人の妻に助け船を出した桃井若狭之助が高師直に罵倒され、若狭之助が思わず刀に手をかけたところ「還御」と直義の帰還を告げる声で踏みとどまる。かの有名な仇討「仮名手本忠臣蔵」の冒頭部分で、壮大な物語の伏線が散りばめられたプロローグである。

日本三大仇討(忠臣蔵・曽我兄弟伊賀越)、また、日本三大演劇(仮名手本忠臣蔵・菅原伝授手習鑑・義経千本桜)の一つとして最も文楽・歌舞伎において有名な作品。本来は大序(初段)から十一段目までで構成されているが、常磐津では大序「鶴ヶ岡」、二段目「桃井館」、七段目「一力茶屋」、八段目「道行」、十段目「天河屋」が伝承されている。七・九・十段目が天保年間(1830-1843)に、次いで大序が嘉永3年(1850)頃、二段目が文久元年(1861)頃に初世豊後大掾(四世文字太夫)によって常磐津の素浄瑠璃作品として取り入れられ、二世豊後大掾(六世文字太夫)・六世岸澤古式部によって整理されたと言われている。

ちなみに、お正月に夢に見ると縁起が良しとされる「一富士二鷹三茄子」は日本三大仇討が元となって、富士は曾我兄弟の仇討ち(場面が富士山の裾野)、鷹は忠臣蔵(主君浅野家の紋所が鷹の羽)、茄子(伊賀の名産品が茄子)を表しており、常磐津ではそれぞれ「忠臣蔵(大序・二・七・八・十段目)」、「曽我対面・夜討曽我」、「沼津(伊賀越道中雙六・上中下)」で日本三大仇討全てが物語られている。

詞章


嘉肴(かかう)ありといへども 食せざれば其の味はひを知らずとは① 国治まって善き武士の 忠も武勇も隠るるに② 例えば星の昼見えず 夜は乱れて顕(あらは)るる 例をここに仮名書きの 太平の世の政(まつりごと) 頃は暦應(りゃくおう)元年二月下旬 足利将軍尊氏公 新田義貞を討ち亡(ほろ)ぼし 京都に御所を構へ 徳風③四方に遍(あまね)く萬民 草の如くに靡(なび)き従ふ 御威勢国に羽を伸す 鶴ヶ岡八幡宮御造営 成就し御代参として御舎弟 足利左兵衛督(あしかがさひゃうゑのかみ)直義公④ 鎌倉に下着なりければ 在鎌倉の執事高の武蔵守(むさしのかみ)師直 御膝元に人を見下ろすせん柄(ぺい)眼 御馳走役は桃井播磨守(もものいはりまのかみ)が弟若狭助安近(わかさのすけやすちか) 伯州の城主 塩谷判官高定(えんやはんがんたかさだ) 馬場先⑤に幕内廻し威儀を正して相詰める 忠義仰せ出さるるは

直「いかに師直
師「ハハァ
直「此の唐櫃(からひつ)⑥に入れ置きしは 兄尊氏に亡ぼされし新田義貞 後醍醐天皇より賜って着せし兜 敵ながらも義貞は清和源氏の嫡流 着捨ての兜と云ひながら其の儘にも打ち捨て置かれず 当社の御蔵に納むる條 其の心得あるべしとの厳命なり 

と の給えば 武蔵守承り

師「こは思ひも寄らざる御事 新田が清和の末なりとて 着せし兜を尊敬せば 御旗下の大小名(だいせうみゃう) 清和源氏は幾等(いくら)もあり 奉納の儀 然るべからず候と 遠慮も無く言上す

若「アイヤ 左様にては候まじ 此の若狭助が存ずるは 是は全く尊氏公の御計略 新田に徒党の討洩らされ 御仁徳⑦を感心し 攻めずして降参さする 御手段(てだて)と存じ奉れば 無用との御評議 卒爾(そつじ)⑧なり  と言はせも果てず
師「ヤァ 師直に向かって卒爾とは出過ぎたり 義貞討死したる時は大童(おほわらは)死骸の傍に 落ち散ったる兜の数は四十七 どれが何とも見知らぬ兜 さうであらうと思ふものを 奉納した其の後で 然(そ)で無え時や大きな恥 生若輩な形(なり)をして お訊ねも無き評議 退込(すっこ)んでお居やれ

と御前好(よ)き儘(まま)出る儘にも 杙(くひ)とも思はぬ言葉の大槌(おおづち) 打ち込まれて急き立つ色目 塩谷引っ取り

塩「こは御尤もなる御評議ながら 桃井殿の申さるるも治まる御代の軍法 是以って御賢慮仰ぎ奉る

と申し上ぐれば ご機嫌あり

直「ホホ 然(さ)言(い)はんと思ひし故 所存有って 塩谷が婦妻(ふさい)を召し連れよ

と言附けし 是へ招けとありければ ハッと答えの程も無く 馬場の白砂素足にて 裾で庭掃く打掛⑨は 神の御前の玉掃き 玉も欺く薄化粧 塩谷が妻の顔世御前 遥か下がって畏まる

師直其の儘 声懸け

師「塩冶殿の御内宝(ごないはう)⑩顔世御前 最前よりさぞ待遠 御大儀御大儀 御前のお召 ササ近う近うと取持ち顔 直義御覧じ

直「召し出す事他ならず 往時(いんじ)⑫元弘の乱れに 後醍醐帝都(みやこ)にて 召されし兜を義貞に 賜はったれば最期の時に着つらん事 疑いは無けれども其の兜を 誰あって見知る人他に無し 其の頃は塩冶が妻 十二の内侍(ないし)⑬の其の内にて 兵庫寮(ひゃうごつかさ)の女官なりと聞き及ぶ さぞ見知りあらんず覚えあらば 兜の本阿弥 ⑬目利き目利き 厳命さへも柔らかに 御受け申すもまた嫋娜(なよやか)

顔「冥加に余る君の仰せ 其れこそは私が旦(あけ)暮れ手馴れし御着の兜 義貞殿拝領にて 蘭奢待(らんじゃたい)⑮と云ふ名香を 添えて賜る御取次ぎは 即ち顔世 其の時の勅答(ちょくたふ)には 人は一代名は末代 すは討死せん時 此の蘭奢待を思ふ儘 内兜に焚き染(し)め着るならば 鬢(びん)の髪に香を止めて 名香薫る首取りし と言ふ者あらば 義貞が最期と覚し召されよ との仰せはよもや違ふまじ と申し上げたる口もとに

下心ある師直は 小鼻怒らし聴き居たる 直義くはしく聞こし召し

直「ホホウ 詳(つまびらか)なる顔世が返答 然有らんと思ひし故 落ち散ったる兜四十七 此の唐櫃に入れ置きたり ソレ 見分けさせよ と御上意の

下侍(しもざむらひ)屈むる腰の海老鎖(えびじゃう)を 開くる間遅しと取り出すを 怖(お)めず臆せず立ち寄って 見れば所も名にし負ふ 鎌倉山の星兜 頭盔頭(とっぱいがしら)⑮獅子頭 さて指物は家々の 流儀流儀に因(よ)るぞかし 或は直平(ちょっぺい)⑯筋兜 錣(しころ)⑰の無きは弓の為 其の主々の好みとて 数々多き其の中にも 五枚兜の龍頭 是ぞと言はぬ其の内に パッと薫りし名香は 顔世が馴れし義貞の

顔「兜にて 御座候(ござさふらふ) と差し出せば

左様ならめと一決し

直「塩冶桃井両人は 宝蔵に納むべし 此方へ来れ

と御座を立ち 顔世にお暇賜りて 段かづらを過ぎたまへば 塩谷桃井両人も ち連れてこそ 入りにける 後に顔世は接穂(つぎほ)く

顔「師直様には 今しばし御苦労ながらお役目を お仕舞有ってお静かに お暇の出た此の顔世 長居は恐れ おさらば

と立上る 袖擦り寄ってぢっと控へ

師「コレまあお待ち待ちたまへ 今日の御用事仕舞次第 其の許へ推参して 目に懸ける物がある 幸いのよい所 召し出された直義公は 我が為の結ぶの神 御存じの如く 我等歌道に心を寄せ 吉田の兼好⑱を師範と頼み 日々の状通其の許へ 届けてくれよと問い合わせの此の書状 いかにもとの御返事は 御口上でも苦しうない

と袂から 袂へ入るる結び文 顔に似合わぬ様参る 武蔵鐙(あぶみ)⑲と書いたるを 見るよりハッと思へども 無情(はしたな)う恥しめては 却って夫の名の出る事 持ち帰って夫に見せうか イヤイヤ 其れでは塩冶殿憎しと思ふ心から 怪我過失(あやまち)にならう 物をも言はず 投げ返す

人に見せじと手に取り上げ 戻すさへ手に触れたりと思ふにぞ 我が文ながら捨ても置かれず

師「くどうは言はぬ よい返事聞くまでは 口説いて口説いて口説き抜く 天下を立てうと伏せうとも儘な師直 塩谷を生けうと殺さうとも 顔世の心ただ一つ 何とさうではあるまいかと 聞くに顔世が返答も 涙ぐみたるばかりなり 折から来合わす若狭助 例の非道と見て取る気転

若「顔世殿 まだ退出なされぬか お暇(いとま)出て暇取らば 却って上への恐れ 早お還り と追っ立つれば 彼奴(きゃつ)さては気取りしと 弱みを喰はぬ高師直

師「ヤァ またしても謂はれぬ 出過立ってよければ 身が立たす此の度の御役目 首尾より勤めさせくれよと

塩冶が内證(ないしょう)⑳顔世の頼み コリャさう無うては叶はぬ筈 大名でさへあの通り 小身者に捨て知行㉑ 誰が影で取らする 師直が口一つで合器(ごき)㉒さげうも知るれぬ 危ねえ危ねえ 身代其れでも武士か イヤサ侍か ナニ馬鹿な面だ ハハハハハハ

邪魔の返報(へんぽう)憎体口(にくていぐち) クワッと急き立つ若狭助 刀の鯉口㉓砕くる程 握り詰めは詰めたれども 神前なり御前なりと 一旦の堪忍も 今一言が生き死にの 言葉の先手(さきて)

下侍「還御㉔
師「エエ 還御だ

御先を拂う声々に せん方無くも期(ご)を延ばす 無念は胸に忘られず 悪事さかって運強く 斬られぬ高師直を 翌(あす)の我が身の敵(かたき)とも 知らぬ塩冶が後押え 直義公は悠々と 歩御(ほぎょ)成りたまふ御威勢 人の兜の龍頭(たつがしら) 御蔵に入るる数々も 四十七字の伊呂波分け 仮名の兜を和らげて 兜頭巾の綻びぬ 国の掟ぞ久方の

解説


①中国古典「礼記学記」より。聖人の立派な道も学ばなければそのよさを知ることができない。 また、大人物も用いなければその器量を知ることができない、という例え。

②平和な時勢に於いては星の光が昼には見えないように武士の忠義も武勇も隠れてしまう。

③仁徳の感化の及ぶさまを風にたとえていった語。

④足利尊氏の実弟。

⑤馬場で馬を乗りとめる所。馬場末。

⑥脚が4本または6本の「かぶせぶた」のついた方形で大形の箱。衣服・図書・甲冑などを入れた。

⑦仁愛の徳。他人に対する思いやりの心。

⑧にわかなこと。突然。軽率なこと。かるはずみ。失礼な振る舞いをすること。無礼。

⑨着流しの重ね小袖の上に羽織って着る小袖。近世の武家女性の礼服。

⑩他人の妻の敬称。内室。内儀。うちかた。

⑪過ぎ去った時。以前。

⑫賢所(かしこどころ=宮中で天照大神の御霊代として神鏡をまつり女官の内侍が奉仕しているので内侍所と呼ばれた)に勤める女官。

⑬中世末頃から刀剣の鑑定・磨研・浄拭を家職とした家。足利将軍家と接近。江戸初期には光悦が出て美術工芸全般に優れた功績を残す。

⑭奈良時代、聖武天皇の代に中国から渡来した名香。

⑮兜の鉢の頂のとがったもの。

⑯かぶとの鉢で頂部が水平で頭巾形のもの。

⑰兜の鉢の左右や後ろにたらし頸部を守るもの。革や鉄板をつづり合わせて造る。

⑱兼好法師。鎌倉・南北朝時代の歌人・随筆家。俗名は卜部兼好。

⑲武蔵国で作られた鐙。鐙に鉄板が連なり、その先に刺鉄(さすが)を付けたもの。和歌では「さすが」に鐙は踏むところから「ふみ」にかけて用いる。

⑳参考:仏教用語

㉑本来は仕事・事務・職務を執り行うことを意味した。古語の「自分のものにする・自分のものとして取り扱う」という意味。

㉒ふたつきの椀。修行僧などの持ち歩く椀をいう。

㉓形が鯉の口に似ているところから、刀のさやの口。

㉔天皇・法皇・三后が出かけた先から帰ること。将軍・公卿が出先から帰ることにいう場合もある。還幸。