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「双面」

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あらすじ

浅草聖天町に住む破戒僧の法界坊(ほうかいぼう)は釣鐘建立の勧進をしながらその浄財で暮らしながら悪人の手先として悪事を働き薄汚い恰好をし更に好色な事から皆から嫌われている。法界坊は永楽屋お組(おくみ)に横恋慕するが、お組は京の武士吉田松若(まつわか)に恋をしている。紛失した吉田家の重宝「鯉魚の一軸」を探しているが、それを巡り遂に松若は人を殺してしまう。執着心の強い法界坊は松若を捕え、彼を慕い尋ねてきた許婚者の野分姫さえも殺し、お組を手籠めにしようとするが間一髪かけつけたおさくによって殺される。

お組と松若は荵売り(しのぶうり)に変装して逃れる途中、隅田川の土手で法界坊と野分姫の合体した怨霊に憑りつかれて悩ませられる-。

古くは常磐津のみの演奏だったものを、現在で義太夫節が重々しく法界坊を、常磐津節が優美に野分姫をそれぞれ巧く語り分ける「掛け合い」でも演奏される。

詞章


名にし負ふ 月の武蔵に影清く 霞を流す隅田川 岸を分くれば①下総と 昔は云ふて今もなほ 由緒(よし)ある人②の言問はば ありのまにまに在原の まめな心を都鳥 群れつつ寄する白波は 瀬々に急かれてはっとして 伊達な浮世を渡し守
川淀(かはよど)③に 映す姿も自ずから 色ある露の水馴棹(みなれざお)④ さす手も遠き唐土の 五湖の景色はいざ知らず 知辺を松の名に愛でて 緑も深き嫩(ふたば)草 葉越し隠れの二人連れ 来るを遅しと待ち居たる

し「待乳山 夕越えくれば庵崎(いほざき)の 隅田河原に独りかも寝ん⑤と すさみし⑥も理(ことはり)や 見ぬ唐土の八景⑦はいざ知らず はて面白き景色ぢゃなァ それはそうと夫軍助(ぐんすけ)が知らせ故 此処へお出でなさる松若様を 先刻(さっき)にからお待ち申して居るが どうして此の様に遅い事ぢゃいなァ ほんに待つ身になるなとは よう云ふたものぢゃナァ

暫し案じて佇めり 恋には身をもやつせと 云うた云うたよう云うた 其の言の葉をしのぶに任せ 徒歩や裸足で人の関を 荵(しのぶ)荵と売り歩く 荵売る身は斯うも有ろかと 小褄をしゃんと川千鳥 千鳥鷗(かもめ)の名所なる 隅田川原に着きにけり それと見るより舟より出で

し「ヤァ あなたは松若様で御座りますか 大体(たいてい)や大方 お待ち申した事ぢゃ御座りませぬ
松「ヤァ おしづかいの 嬉しや嬉しや 早速乍ら聞いてたも 軍助が言葉に任せ 二人とも此の様に 荵売り⑧と姿を変へ 此処までは来たれども 道々も恐ろしい事のある条 コレあの寿姫は人手にかかって死にやったわいの

聞いておしづも吃驚(びっくり)し

し「そんならあの姫君様には 敢え無い⑨御最期で御座りましたかいな 本に習はぬ旅路も お許嫁の松若様に 逢ひたい添ひたいと思ひ 焦がれておいで遊ばしたもの 何の未来も成仏なされませう ほんに果敢無い御縁で御座りましたナァ

と涙の中に松若丸 懐中より帛紗(ふくさ)を取り出し

松「是を見てたも 又とだに 思はぬ中の別れ路を 言葉残りてなほや恨みん 稚(をさ)ない時の別れさへ 許嫁の此の松若へ 形見に送りし此の一言も 今は未来の置土産となったかいの
し「此の世の御縁は薄くとも 御本妻と定まるからは 未来は添うて下さりませ
組「仮の此の世の殿御をば 私がお預かり申して御座すぞえ
松「形見こそ 今は仇なるその帛紗 せめては妄執⑩も晴るるやう 煙となさば未来の門火
組「それそれ どうぞ未来は成仏なされて下さりませ
皆「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏と傍へなる 岸根に焚ける葭(あし)の火へ 形見の帛紗打ち入れれば 又も嗔恚(しんい)の立昇る 煙り隠れに怪しの心火⑫ 現はれ出づると見えたるが ためらふ隙もなかなかに おしづを始め松若お組 ただ茫然と伏しにける⑬

白浪の 雲かあらぬか煩悩⑭の 堕落に失せし法界坊 姫が魂魄(こんぱく)⑮誘い来て 姿は一つ双面(ふたおもて)⑯ 恨みをここにありありと 同じ打扮(でだち)の優姿

わし在所は 京の田舎のかたほとり 八瀬や大原や芹生の里⑰ 世を忍ぶ故 姫御前の身で褄からげ 荵いらんせんかいな 買はんせんかいなァ 世を忍ぶ しのぶの乱れ限り無き⑱ 恨みもやらで其の人の 連れ添ふことの恨めしく うつらうつらと迷い来て 小舟間近く立ち寄れば 松若 不図心付き

松「ヤァ 其方はお組ぢゃないかいの
組「アイ 組ぢゃわいな

と云うに心も晴れやらず 此方の二人を呼び生けて

松「ヤヤ 其方はお組か 心がついたかいの
組「ヤア 松若様 また恐ろしい事で御座んしたいな

と言葉になほも恐気だち おしずおしずと呼び生けて

松「コレ おしず気が付いたかいの
し「オオ お二人で御座りまするか
松「コレおしづ お組が何時の間にやら二人になったわいの
し「何を仰有りまするやら どうしてお組さんが二人有ってよいもので御座りまする

と言ひつつ此方を見て吃驚 暫し言葉も出でざりしが やうやうに胸を据え

し「モシ お前の名は何と申しますえ
組「アイ 私や組と云ふわいな

と此方は聞いて立ち戻り

し「シテ お前の名は
組「アイ 私や組と云ふわいな
し「本にマァ 此方(こちら)にもお組さん 此方にもお組さん こりゃまぁどうじゃと驚けば
組「エエ 何のこっちゃいな 私を除けて他に組が在ってよいものかいな
し「イヤもう 何方(どちら)がお組さんぢゃやら とんと合点がゆかぬわいな イヤ申しお組さん あなたは何時ぞや 柳橋の大黒屋⑲で踊り初め⑳のあった時の振り事を 覚えておいでなさんすかえ
組「それを忘れてよいものかいな
松「そんなら茲(ここ)で 見やうかいな
組「サァ 其の振り事は
松「其の振り事は

恥ずかし乍ら 一寸(ちょっと)小褄を斯う取って 
尾花招けばうなづく小萩 何をくねるぞ㉑女郎花 わしや可愛うてならぬのに さても縁が朝顔ならば㉒ 廓(さと)の女郎衆は見やせまい 開くを蕾が開いた 見やせまい サイナサイナ さうぢゃといな 人をしのぶの草隠れ おしづもほっと待ちあぐみ㉓

し「いやもう不思議と云はうか とんと合点がゆかぬわいな オオそれそれ そんなら此の上は松若様が 幸吉と名を変へて お組さんの所へ行かんした 其の馴れ初めの睦言(むつごと)は お前ならでは知ったものでは御座んせぬ サァ其の話が聴きたいわいな 組「其の睦言の話はな よう覚えて居るわいな
し「ハテマァこちらのお組さまから聞かうわいな
松「それそれそれを聞こうわいの
組「サァそれは

過ぎにし梅の花見月(はなみづき) 目見え初めて手を付いて ふっと見合わす顔と顔 いとしらしうて優形で 本に思えば徒(いたずら)な 人の前髪㉔何のその 嗜んで見ても忘られず 目先にふだん業平さんも 忍びやせまい殿振りと 惚れて心で褒めて居て ついした訳になったのが 積もり積もりて何時しかに 桃と桜の色競(くら)べ 雛遊びの酒毎に 二世の堅め㉕と抱き締めて つひ手枕のそそけ髪㉖ 直してあぎよと髪挿(かんざし)に お前の紋のさしこみは 癪といふもの初めて知った 外の殿御の肌知らず 思ひ焦がるる私ぢゃもの 何の心が変らうと 彼方へ引けば此方へも 縺(もつ)れ縺るる糸柳 風に揉まるる風情なり

おしづはそれと見るよりも 中を隔てて結ひ柴の こちらもこちらも蕾の花 若木の薫り床しさに 見惚れて居さんす其の中へ 内の子飼ひ㉗の長太めが 阿呆のくせにいやらしい 稚さな遊びにかこつけて めんない千鳥 はんま千鳥 散りては慕ふ磯隠れ 始終おしずが止どめても 止め兼ねたる妹背仲 結び柏や振袖の 垣根に纒(まと)ふ蔦かづら 離れがたなき風情なり 誰とても思ひは同じ飛鳥川 瀬と変わりゆく昨日今日 修羅の苦言の晴れやらず 名乗らで知れや我が思ひ ぢっと見る目も物凄く

野「松若様
法「お組どの

恨めしの心や 人の恨みの深くして 刃にかかりし身の因果 生きて此の世に在るならば いとし殿御と添ひもせう

法「アア 可愛い女と寝んものを

なまなか出家を遂げし身は 苦艱(くげん)㉘に障られ法心(ほっしん)㉙の 中立を忘れしも 皆誰故ぞ お組故
私が迷いは松若様 稚馴染みの許嫁 末を頼みの甲斐も無く 思はぬ憂目 三つ瀬川㉚ 胸に漲る思ひの淵 

「浅いは縁 深いは恨み

恨みは人をも世をも 思ひ思はずただ其の人こそ

「憎し 辛し

情けないぞとかこち泣き かっぱと伏して泣きいたる おしずはそれと見るよりも なほも様子を見届けんと 二人がそばへ立ち寄って

し「成程 聞けば聞くほど 合点の行かぬ二人のお組様 此の上の思案には それそれ去年(こぞ)の秋 神田祭㉛に稽古した踊りの振り 私らも相手になって サァ其の振りが見たいわいな
組「サァ 其の踊りの振りはナァ
し「それ
組「それ
皆「それそれそれ そっこでせい

花容(はながた)の 渡しに色の綾瀬川㉜ 姿箕(すがたみ)の輪㉝と浮名は請地㉞ 人が庵崎㉟心の関屋 天神様のお世話なら 片葉の蘆ぢゃないかいな それそれそれ誓文さうかいな 花川戸 恋を待乳に三囲や 逢ふにや牛島鷲の森 緑の橋場も嬉しの森よ 白髭さま㊱のお世話なら 吾妻橋ぢゃないかいな それそれそれ誓文さうかいな
離れぬ仲の縁ぢゃもの 揃ふ姿の品かたち おしずも今はもどかしく 懐中の尊像取り出し

し「此の上は夫 軍助殿諸共 日頃信心なす浅草の観世音 此の尊像の功力を以って 化生の姿を現し給へ 南無浅草観世音

と一心凝めて指し付くれば 今まで見紛ふ顔ばせも 震え戦慄(わなな)き忽然と

法「ああら 恐ろしや苦しやなァ 娑婆㊲の業因㊳深き故

思はぬ此の身に苦艱(くげん)を請け 倶に奈落㊴の底までも 引き立て行かんとせしかども 観音薩埵(かんのんさった)の誓ひに恐れ 我と我が身を 責めに責め来る冥土㊵の使ひ 影もよしなや恥ずかしの もりて余所にや白露の 見えつ隠れつ思ひをなし げに観音の御功力と 奇瑞(きずひ)㊶を感ずる折こそあれ㊷

間近く聞こゆる貝鐘太鼓 おしづは屹度心を付け

し「あれあれ あの太鼓は確かに 常陸の大掾百連より討手の者 目にかかってはお為にならず イザイザ

と倶に囁き釣鐘の 小蔭へ忍ばす間も無く 百連が手の者共 我先にと馳せ来たり

討「確かに見付けし松若丸 又一人は寿姫 注進あって聞きしより 搦(から)め取らんと来たりしが 影も形も見えざるは 逃げ隠れたに極まったり 有り様に白状なせ 何と何と

とひしめけば 側へかはして然あらぬ体 オオ気疎と

し「私は今此処へ参りましたものその様なお方は存じませぬわいな
討「それでも今の知らせは此の釣鐘 ちょっと様子を検ためん

と立かかるを おしづははっと押し隔て

し「是は又 疑ひ深い何ぢゃぞいな
討「イヤ 見せともながるが尚怪しい
し「それでも此処にぢゃないわいな
討「それが定なら 誓文を立てて見せろ
し「何とえ

神や仏に誓ひにかけ 偽りならぬ誓言を 

討「見やうわ
し「サァそれは

敬って拂い清め奉る 神は梵天誓文 どうして此処に御座んしょ明王 なんぼうすんがりきしや明王 愛嬌に大威徳 ぽっとりこんりんやさ女房 大日大事の神かけて なまくさばんだばさらにも 言葉連葉に誓ひける ムム ハハハハ 間に合わせの空誓文 どうでも様子が有明の 釣鐘こそ すはすは動くぞ 折れただ それ者共と下知の下 イデ承ると大勢が 走りかかりて釣鐘を 程無く梢に引き上ぐれば 二人にあらで化したる姿

討「そも先づ 汝は何奴だやい

凡そ輪廻は小車の 六しゆ四しゆを出でやらず 人間不定芭蕉葉の 萎れ果敢無き身の果てを 吊るふ人さへも情けなや 修羅の巷に迷ふらん

おしづは以前の尊像を 成仏あれやと指付くれば 謹請東方清竜清浄 謹請西方白体白竜 一大三千大千世界の垣沙の竜王 哀愍納受愍自懃のみぎんとなれば 何処に大蛇のあるべきぞと 祈り祈られ 又立ち向かふ其の勢ひ なほも恨みは尽きせじと 小蔭に忍ぶ両人へ 飛びかからんとするところへ 松浦五郎則光は それと見るより馳せ来たり

則「ハテ怪しや 今松浦五郎が来て見れば 天地に渦巻く黒雲雷電 心得ずとよく見れば 稀有なる女の立ち姿 たとへ如何なる悪霊なりとも 此の則光が降魔の利剣 立ち去れ エエ

とさしも鋭き勇士の太刀風 おしずは始終一心不乱 観音薩埵の妙智力の 怨霊忽(たちま)ち遠ざかり 波間へ飛んで入りにける 彼の怨霊の旧跡も 日高にあらぬ隅田川 鐘ヶ淵とぞ今の世に 伝えて其の名残しける

解説


①隅田川が下総と武蔵の間を流れ東西の岸を両断している事。

②在原業平。

③淀んでいる川。

④手慣れた舟の竹さお。

⑤万葉集の弁基法師の詠歌より。

⑥歌を詠じること。

⑦唐の八つの景色。日本の近江八景の元となった。

⑧シノブ科夏緑性シダ植物。岩や木に着生する。根茎は太く長くはない。淡褐色の鱗片を基部に密生する。

⑨果敢無い。

⑩参考:仏教

⑪仏語。三毒・十悪の一。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。 参考:仏教

⑫火のように激しく燃え立つ、怒り・恨み・嫉妬などの感情。墓や幽霊などのまわりを飛びかうといわれる火。

⑬意識を喪失し倒れてしまう事。

⑭参考:仏教

⑮人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊。古代中国では,人間を形成する陰陽二気(陽気の霊を魂・陰気の霊を魄)。

⑯法界坊と姫の亡魂が一つとなり、お組の姿として現れた。

⑰京都愛宕郡。

⑱伊勢物語から引用。

⑲実際に在った料理茶屋。

⑳正月の踊りはじめ。

㉑すねるぞ。

㉒女郎は朝寝なので見たことは無い。朝と浅いをかけた。

㉓もてあます事。

㉔松若が若衆姿で奉公していたこと。

㉕夫婦の契り。

㉖乱れた髪。

㉗丁稚。小僧。

㉘つらい目にあって、苦しみ悩むこと。艱難。

㉙参考:仏教

㉚冥土の三途の川。

㉛9月15日に行われていた神田明神の祭り。

㉜隅田川の上流の一つ。

㉝姿を見ると箕輪をかけたもの。

㉞向島の村。

㉟向島水神。

㊱白髭神社。

㊲参考:仏教

㊳参考:仏教

㊴参考:仏教

㊵参考:仏教

㊶参考:仏教

㊷以降は、法界坊が鐘入りとなり道成寺同様に蛇体となって現れる趣向だが、現在では演奏されない。