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「お夏狂乱」

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あらすじ

お夏は恋人「清十郎」を恋い慕うあまり狂乱し、里の子や泥酔した馬子にからかわれる日々を送る。ある日、巡礼の老夫婦が被った菅笠(すげがさ)に清十郎の笠を重ねて今は亡き恋人の幻を見る……。播州姫路で実際に起きた駆落ち事件を坪内逍遥博士が日本舞踊革新運動の初期的作品において作詞した井原西鶴「好色五人女」を題材とした大正期の作品である。古典技法を巧みに操る二世常磐津文字兵衛(松壽齋)の作曲となっている。

詞章

行く秋の① 名残を止め奥手田の 刈跡黒む一時雨(ひとしぐれ)② 晴れて西日の赤々と 雲を彩る夕焼けに しょんぼり立つや破れ案山子(かかし)③ ひとつ残りてカラコロリ 鳴子④の音に思い出の 紅葉も今日は散りぬらん 何が何やら善悪(よしあ)しも 白糸育ち山育ち 悪戯盛りの面白や お晩が紅咲いた父母に云うてやろ ちんがらもんがらちんがらこ⑤ 烏の首ャ長いか 鷺の首ャ長いか 鷺の首ャ長い 何として長い ひだるて長い ひだるて長くば 田打て田打て 田打ちのおんばさ 餅買うてたもれ いか⑥買うてたもれ 買うてたもらにゃ 糞婆鬼婆目腐れお婆の 鼻ピッピ 加茂の競馬⑦の膝栗毛⑧ 赤やい赤やい真っ赤いな 真紅の手綱に障泥(あをり)を打って ぽんぱかしったんぽんしったん お馬が二匹ではいどうどう 大手下馬先⑨さくらの馬場にお池の中迄 ざんぶりこ のったりゃのったりゃえんえんわいわい 勇む春駒面白や 遊び呆けて悪戯ども 

「皆見ィ見ィいつもの笠の狂人(きちがひ)が 「アレ向うから 「来おる来おる 

昨日の様に今日もまた 菅笠(すげがさ)⑨かむった人見れば 顔見たがって泣かうなら 泣かせて遊ぼと小頷き 何やら小智恵悪あがき 囁き潜(ひそ)めく森蔭に 初木枯らしや一頻り 向かい通るは清十郎じゃないか 笠がよう似た菅笠が よう似た笠が笠がよう似たすげ笠が 笠よ笠 梅の花笠その花笠を 縫ひや煩ろふ藪鶯(やぶうぐいす)の 法華経法華経⑪と 身をさかさまに 泣いて殿御に逢わるるならばなンな七夜も 「クゥ
泣き明かそもの 我はこの世に遅れて一人 染むる間もなき 晩(おそ)紅葉 風に散りそろ 紅葉が風にひらり ひらひら散る紅葉葉を 染めて小袖の晴れ模様

「何じゃ嫁入りじゃ フム すりゃ見事な介添がついて 釣台が七釣 箪笥長持が九棹(ここのさお) シテその花嫁御の名は

他愛も波の浮き寝鳥⑫ 夫に離れて昼夜を 狂い渡るぞ便無けれ 腕白どもは手を揃え 通った通った今ここを通った 色が白うて背が中背で 年は二十四五ひんなり男 菅の小笠を着て通った 逢いたか逢わそうとそやされて 「何菅笠が どれどれどれ
行かんとすれば口々に 

「ウンニャいつもの唄歌うて 踊らぬ内は教えぬ教えぬ
「何いつもの唄を

唄えへとや 「オォ唄おうとも唄おうとも
私とな お母さと 糸取って居たれば 東窓から文ノゥ投げる 私にゃ当たらでお母さに当たる お母さわしょ見る 私ャお母さ見る 取るにゃ取られぬ水の月 しょんがえ 

「ウンニャ其れではない お夏の唄じゃ
「そうじゃお夏の唄じゃ
「何じゃお夏の唄じゃ クゥ

清十郎殺さばお夏も殺せ 生きて思いを為(さ)しょよりも 思いを生きて 生きて思いを為しょよりも

「アレアレ清十郎が 「来たぞや来たぞや
「エエどれ何処へ 「ソレソレそこへ

菅笠が 本に無情(すげな)い浮世とは 知れど若(も)しやにひかれて今日も 早黄昏る初木枯らしに 樹々の木の葉の はんらはら泣きつ怒りつ

「狂人よ狂人よ

しどけなく 乱れ狂うぞ 無残なる

娘さァ何よする 行燈(あんど)の影で 可愛サ男のナ 帯ヨくける
男なりゃこそ この霜空に 裸百貫 負目の代(かた)に 遣るにゃ遣られず何もかも ほつき揚句のその果てが 身上棒に古襦袢⑬ ふるえ忘るる濁酒(どぶろく)に 浮かれ小唄の一節は 腰の徳利の口移し 手綱取る手の無沙汰げに ぶらりひょろりと 「ウーイ オ オ 来たりける 

「ウーイ ああ好(え)え気持じゃ ハハハ何じゃ裸じゃ ハテ裸ヤ大事無いわいやい

間がサ悪うて 裸になろうと 酒をサ飲もならナ 冬知らぬヨ

「ヤァ 其処にいるのは誰じゃい ウーイ 誰かと思うたら主ャ 地蔵どんじゃないかい ウーイ

常住⑭そうして ちんとして ごんしたら尻(けつ)が冷よぞい マ一つ飲まんせんかいな ハ厭かいの したら酌をして下さんせイの

「ハハハ こりゃ何を言うても絵に描いた木戸で開かんわい 是が正真正銘の
石部金吉(いしべきんきち)⑮鐵(かな)つんぼ 金にはじたい円薄なれど馬方冥利 宿々の 

「ヨウ是ゃどうじゃ 湧いたか降ったか 天人の落ちぶれか サッテモえらい美しい 

女子にゃ果報あり様は 今日もお敵が心中立ての 一生徳利二升かけて 変わるまいぞの約束も 寒さ凌いで喉元を 過ぎりゃ浮気の小当たりに

「イエイエ 一人で渡るわいナ オオさっても仰山な 蛍狩
「皆もおじゃサァサァ

此処やかしこと手を引き連れて 蛍来い来い甘い水遣(や)ろに 其方(そち)も可愛や夜すがら身をば 焦がす水にも消えぬ火に
アラ恐ろしや焦熱の 呵責の笞この世から受くるぞよ 人の浅ましや助けて給(た)べの悲しやと 彼方へ走り此方へ迷い 狂い乱るる有様に
あッたら笑止や狂人(きちがい)殿 掛り合うては迷惑と 酔いの醒め際興醒め顔 すがるを付きのけ振り払い 我が里指して走りゆく 次第に迫る烏羽玉の 無明を破る鐘の声 
補陀落(ふだらく)や 岸打つ波は三熊野(みくまの)の⑯ 那智のお山もいつしか後に 故郷を遥々ここに紀三井寺 都の春も程近く 端無く流れ近江路や⑰ 一樹のもとの行き合ひも 他生の縁や菩提の縁 実に大慈悲の御仏の 堅き誓いぞ頼もしき 固き誓いぞ頼もしき

解説

①行く秋=暮れていく秋。

②一時雨=秋と冬の間に時々降る雨。

③破れ案山子=鳥獣が寄るのを防ぐ人型。敗れた衣を着せられている。

④鳴子=鳥獣を防ぐために糸に小さな木板を連ねて、音が出るようにしたもの。

⑤ちんがらもんがら~=びっこの真似をして飛び歩く拍子。

⑥いか=いか幟の略称。凧の事。

⑦加茂の競馬=五月五日に京都賀茂神社で行われる競馬。

⑧膝栗毛=膝を馬足にたとえて歩くこと。

⑨大手=城郭の正面。下馬先=馬を下りる場所。

⑩菅笠=幅の広いスゲの草を用いて編んだ笠。

⑪鶯の鳴き声と、清十郎を祈る法華経とをかけたもの。

⑫他愛無いを浪にかけたもの。浮寝鳥=水鳥

⑬身代限りをしたことを「古」にかけたもの。

⑭参考:仏教

⑮石部金吉=極めて物堅く女色に迷わない人の事。

⑯補陀落や岸打つ波は三熊野の=和讃、御詠歌。西国三十三か所の寺を詠んだ歌。 参考:仏教

⑰図らずも流れ合う身を「近江(おうみ)」にかけたもの。