HOME > 角田川

「角田川・班女」

角田川.jpg

あらすじ

人買いにさらわれた梅若丸(うめわかまる)を捜して狂乱した母親「班女御前(はんにょごぜん)」は、京の北白河から武蔵国と下総国の国境を流れる隅田川の辺りまでやって来る。そこで出会った船頭は「狂女は舟には乗せられない」と初めは拒むが母の信念に心を打たれて遂には向う岸へ渡してやる。

川岸で行われている大念仏(大勢の人が大声で念仏を唱える)は一年前に商人に連れられてきたが病死した子供の一周忌の回向(えこう)をしていると言う。その子は北白川の何某であったと我が子の死を知らされ遂に班女はその幻を見る。愛おしそうに我が子を抱こうとするが白みゆく空と共に子の姿は消え失せてしまうのだった-。

愛児を失った母親の心理を能く描写した作品で、古くは謡曲(「班女」「隅田川」)にあり舞踊では明治に作られた清元「隅田川」が有名であるが、常磐津では明治期に長唄と掛け合いで作られ大正期からは常磐津のみの「角田川」として演奏されている。

なお、謡曲「班女(はんじょ)」の後日譚「隅田川」を歌舞伎舞踊化したのものが今作であるが、同じく後日譚の狂言「花子(はなご)」を題材としたのものが常磐津と長唄の掛け合い松羽目物「身替座禅」であり、山蔭右京(吉田の少将)が「恐妻玉の井」の目を盗んで逢いに行こうとした愛人が花子(班女御前)である。

詞章

月花の名所多き吾妻路(あづまじ)に 富士と筑波を三巡の①堤も霞む櫻時 水に影浮く隅田川 斯る景色も朝夕に 馴れては秋葉鐘ヶ淵(かねがふち) 音に聞えし故事も 渡船守る身は白髯②に 流れ渡りの気散じは 葦蘆(よしあし)茂る川上へ 五合懸けて行く船の 追手に孕む蓙帆(ござほ)より 晩の寝酒を懐み句に 渡りに人を待乳山③ 夕越え暮るる景色かな

舟「是は此の邊(あたり)に住む 渡し守にて候 是にて人々相待ちて 渡さばやと存じ候 

銜(くわ)え烟管(ぎせる)に枝煙る 川邊(かわべ)の柳春風に 乱れ心や狂ふらん
班女御前は都より遥々関の東まで 子ゆゑの闇に迷ひ来て 行方(ゆくえ)何所(いずく)と尋ぬれど 誰白波に幾返り 裳裾(もすそ)④に狂ふ蝶々に問へど答えも山梔(くちなし)⑤の 菜種の花も乱れ咲き 飛び交ふ蝶の跡追うて 狂ひ狂うて来たりける

班「ノゥノウそれに在するは 渡守と見受け候 早々向へ渡し候へ
舟「其はいと易き事なれど 御身は正しく物狂 狂女は舟に乗せられず
班「何狂女とは曲も無や

物に狂うは我のみか 鐘に櫻の物狂ひ 嵐に波の物狂⑥ 我は子ゆゑの物狂 蝶よ花よと育てたる いとし可愛の児を失うて 尋ね彷徨ひ山に臥し 夜露に袖の乾く間も 泣いつ笑ひつ山々の 菫蒲公英鼓草(すみれたんぽぽつづみぐさ)
我も以前は白拍子⑦ 夫(つま)の形見と賜はりし 閨(ねや)の扇の一差も⑧ あら恥しの一昔 見渡せば 雲かと紛ふ三芳野の 一目千本の花咲いて 初瀬立田も人の山⑨ 紅葉を忍ぶ敷物に 秋季(あき)は然こそと岩清水 八幡山嵜(やはたやまざき)山々の 盛もいつか嵐山 花の吹雪のヒラヒラヒラ クルリクルクルト クルリクルクル 巴に巡り散る花に袖振山の雪景色 誰白妙と伏沈む

班「アレアレ 向に白く流れ候は
舟「彼(あれ)は沖の鷗(かもめ)にて候
班「よし千鳥とも鷗とも

茲(ここ)に隅田の鳥ならば など都鳥とは言はざるぞ

舟「ャこれは一番過つた 名所に住めど心無く

都鳥とは言はずして 沖の鷗と夕波の風に聞ゆる歌念佛 南無阿弥陀仏

班「アレ 幽(かすか)に聞ゆる念佛のあの聲は
舟「イヤ彼に就(つい)て憐な話 然(し)かも前と月(あとげつ)十五日 都の空より人買が 幼き児(ちご)を捨小舟 取り付く島も泣く聲に 里の人々打寄りて 介抱なせど果無くも 莟の儘に散りしゆゑ

舟「堤へ埋め一本の 櫻を標(しるし)に植ゑ置きしが 今日の忌日に 昨日から爺様が臼挽く 婆様が蒸かし じょなめく姉エがこね取りに 背兄(せなあ)がつくのも 歌念仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥団子がキックリと 胸につかえて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 わけも無や⑩

班「シテ其児の名は 梅若丸とは言はざるか
舟「どうして其を
班「知らいでなろうか我がいとし児
舟「然らば舟にて伴はん

いざ渡さんと船人が狂女を伴ひ川端へ 打連れてこそ急ぎ行く⑪

解説

①富士と筑波を三巡の=富士山と筑波山とを見ることのできる向島の三巡堤(みめぐりづつみ)にかけ、桜の咲いた隅田川を引き出している。

②紅葉、鐘ヶ淵、白髭=いずれも向島の名所。

③渡りに人を待乳山=渡る人を待つことを、浅草の待乳山にかけたもの。

④裳裾=衣の裾

⑤梔子の=返事がないことを梔子の植物にたとえている。

⑥何狂女とは曲も無や~嵐に波の物狂=一中節「賤機帯」の詞章を借用したもの。

⑦白拍子=平安末期に起こった舞を舞う女の事。

⑧閨の扇の一差も~=長唄と掛け合いだった当初は、ここから長唄の受け持ちだった。

⑨見渡せば雲かと紛ふ三芳野の~初瀬立田も人の山=掛け合いとして作られたので長唄らしい三味線の手がついている。

⑩昨日から爺様が臼挽く~わけも無や=悲劇の中に洒脱みを帯びた三味線・節付けとなっているが、今日では作品の雰囲気を損ねる可能性があるため省略される事が多い。

⑪いざ渡さんと船人が狂女を伴ひ川端へ 打連れてこそ急ぎ行く~=当初は「打連れてこそ入りにけり」となり、その後が「石橋」となる二段返しの所作事であった。