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「朝顔日記・宿屋の段」

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あらすじ

宮城阿曽次郎(みやぎあそじろう)を見染たが生き別れとなっていた秋月家の息女深雪(みゆき)は親が結婚相手として勧めた駒形次郎左衛門(こまがたじろうざえもん)が改名した阿曽次郎とも知らず、家出し訪ね歩いて流浪したのち遂には盲目となってしまう。

駒形こと阿曽次郎が江戸に向かう途中立ち寄った島田の宿で女芸者を呼んで琴を弾かせる。演奏する彼女が宇治川の蛍狩のおり恋焦がれた深雪である事が分かるが同輩であり悪人の岩代多喜太(いわしろたきた)の手前、名乗ることが出来ないでいた。遂に阿曽次郎は署名した扇に金子、目薬を添えて深雪に名乗らぬまま出立してしまう。宿屋の亭主徳右衛門(とくえもん)は深雪に扇の署名を教えたところ、先ほどの客が愛しい阿曽次郎と知り深雪は盲目ながらも雨のなか杖を頼りに走り出すのだった-。(後半「大井川の段」に続く)

生写朝顔日記(しょううつしあさがおにっき)は文楽の本外題だが、先に歌舞伎となっている作品で、当時の長編小説「蕣(あさがお)」から派生した読み本「朝顔日記」をもとに近松徳三により書かれた作品である。常磐津ではその後に「宿屋の段」「大井川の段」のみ抽出され作られるが、本作宿屋の段ではお家騒動に悲恋、筝曲の手が付いた三味線「琴唄」が入るなど能く練り込まれた秀逸な浄瑠璃である。

詞章


何國(いずく)にも 暫しは旅と綴りけん 昔の人の筆の跡① 徒然(つれづれ)②詫びる仮宿の 夜の衾(ふすま)の隙洩りて 風に瞬(またた)く燈火(ともしび)の 影も淋しき奥の間へ 立還る次郎左衛門 何心無く座を占めて フッと目に附く衝立(ついたて)③の 張交(はりま)ぜ④の歌 読み下し

駒「ハテ心得ぬ 此の張交ぜの地紙の歌は 先年山城の宇治にて秋月⑤が娘 深雪が扇に某が又逢ふまでの形見にと 書いて興(あた)えし朝顔の歌 其の後図らず明石にて舟繋(ふながが)りせし其の砌(みぎり)⑥ 琴に合はせて深雪が節附け 折節思はぬ互いの出船 飽かぬ別れを悲しみて 女の手づから我が舟へ 投げ込みし此の扇 然るに今また此の家にて 図らず吾妻の驛路(うまやじ)⑦に 見るも不思議と獨事(ひとりごと)

其の折からの忍ばれて 眺め入ったる時しもあれ 襖(ふすま)押し開け徳右衛門 小腰屈めて入来れば 此方は扇押し隠し

駒「オォ亭主 先刻はさてさてきつい働き 危うき難を遁(のが)れしも⑧ 全く其方が志 マそれは格別 此の衝立にある朝顔の唱歌⑨は何人(なにびと)の手跡(しゅせき) ⑩どう言ふ事から お身が手に入りしぞ
徳「エエ それでござりますか 其の歌に就いて哀れな話 元は中国辺⑪歴々の娘 さうなが何やら 尋ねる人が有るとて 親元を家出し それより遥々と流浪いたし 果ては至頭(とうとう)目を泣き潰し 後の月までは濱松辺(はままつへん)に其の歌を 唄うて袖乞所にまた 国許から所縁の女子が尋ねて来て 遇ひましたが其の女子も程無う病死 それからまた一人法師(ぼし)此の辺まで其の歌を 唄うて歩き行きましたが 何が盲目(めくら)でこそあれ 器量は好し顔は好し 見るほどの者がいぢらしがり 朝顔朝顔と言うて其の歌を 知らぬ者はござりませぬ 私も餘(あまり)の不憫さに 此の宿に足を止めさせ 今では宿屋 宿屋のお客の伽(とぎ)⑫ 何とマァ 不仕合せな者でござります と

涙片手の物語も心にひしぐ應(こた)ゆる駒澤 もし言ひ交はせし我妻かと 轟く胸を押し鎮め

駒「フム それはさて哀れな話 今宵は何とやら物淋しい 鬱散(うっさん)⑬の為その女を 呼び寄せる事はなるまいか
徳「イヤモ 何がさて只今呼びに遣(つかは)しましょ 御慰みに琴か三味
駒「ム 何分好きに頼み入る と

言ふは仔細の有るぞとも 知らぬ佛気(ほとけぎ)⑭徳右衛門 尻軽にこそ立って行く 後へ相役岩代多喜太 のさのさと座に直り

岩「ヤ駒澤氏 さぞ御退屈でござらう
駒「是は是は岩代氏 殊(こと)の外(ほか) お早い事でござると

上辺は解けても解けやらぬ⑮ 前垂(まえだれ)掛けの下女お鍋 次の間に手を支(つか)え 

鍋「申し申し 朝顔殿が見えました 是へ通しませうかいナ
岩「何 朝顔とは何者
駒「アアイヤ 此の道中で琴三味を弾き 旅の徒然(とぜん)を慰むる瞽女(ごぜ)⑯とやら 拙者も何か物淋しうござれば ちと琴でも聴かうと存じ 亭主を頼み呼び寄せましたでござる
岩「アイヤ そりゃ止めになされい
駒「とはまた何故な
岩「ムム サ御所望ならば兎も角も 然し座敷へは叶わぬ 庭へ呼び出し 琴なと三味なと弾かしめされて 早く此の場をぼッ帰されよ と

飽くまで意地持つ拗(ねじ)け者⑰ 寄らず触らず駒澤が 指図にお鍋は心得て

鍋「朝顔殿召しまする 朝顔殿朝顔殿 と呼び立つる

無残なるかな秋月の 娘深雪は身に積もる 嘆きの数の重なりて 榯(ねぐら)失う無目鳥(めなしどり) 杖柱共 頼みてし 浅香は脆く朝露と 消え残りたる身一つを さすがに捨ても縁先の 飛び石⑱探る足元も 危うき木曽の丸木橋 渡り苦しき風情にて 漸(やうやう)ざして手をつかへ

雪「アノ召しましたは 此のお座敷でござりますか モ拙ひ調べもお笑い草

おはもじ様やと会釈する 顔も深雪が成れの果て 不憫の者やとせぐり来る 涙飲み込み控へ入る 岩代はそれ共知らず

岩「ヤァ見苦しい其の様で 我々が目通りへうせたは アア アァ聞き及んだ朝顔めな エエきりきり立って失せ居ろふ
駒「アァいや岩代氏 そう没義道(もぎだう)⑲に仰せられな 此方より呼び寄せたればこそ 思ひ懸けアイヤ思ひ懸け無う来た者を 叱るは武士の情けにあらず コリャ女 大儀ながら其の朝顔とやらの歌 ササ早く唄うて聴かせいと

希望(のぞ)む心は千萬無量 知らぬ岩代面膨らし

岩「さてさて駒沢氏には イヤモきつい御執心 コリャ盲女 何なりともササ早く早く 雪「ハイハイ唄ひまするでござります と

焦がるる夫のあるぞとも 知らぬ盲女の探り手に 恋故心筑紫箏⑳ アァ誰かは憂きを斗為巾(といきん)㉑の 糸より細き指先に 指す琴爪(つめ)さへも八橋㉒の やつれ果てたる身をかこち 涙に曇る爪調べ 

<琴唄>
露のひぬ間の朝顔を 照らす日影の無情(つれな)きに  哀れひと村雨の はらはらと 降れかし

駒「ムゥ夫を慕ふ音律の 我々が身にも思ひ遣られて 思はずも感涙致した ノゥ岩代殿 岩「いか様 箏と云ひ器量と云ひ イヤモ中々関心仕る イヤナニ朝顔とやら 其処は定めて冷えるであろう 身共が傍で一曲 サ所望だ所望だ
駒「アアイヤ岩代殿 もう赦してお遣りなされイ
岩「然りとては駒澤氏 身共が望むを止めさっしゃるは 其れや意地の悪いと申すもの
駒「イヤ そうではなござらねど 彼も定めて疲れませうと存じて
岩「ハハァ 然らば曲は止めにして コリャコリャ女 そちも腹からの非人㉓でもあるまい 身の上話も亦(また)一興 話して聞かせい ササどうだどうだ
雪「ハイハイよう問うて下さります お言葉に甘へお話し申すも恥ずかし乍(ながら) 元私は中国生まれ 様子あって都の住居(すまひ) 一年宇治㉔の蛍狩りに 焦がれ初めたる恋人と

語ろう間さへ夏の夜の 短い契りの本意(ほい)ない別れ ところ尋ぬる便りさへ 思ふに任せぬ国の迎え

雪「親々に誘(いざな)はれ 難波㉕の浦を船出して 身を尽くしたる

憂き思い 泣いて明石の風待ちに たまたま逢ひは逢ひながら 無常なき嵐に吹き分けられ 国へ帰れば父母の 思ひも寄らぬ夫定め

雪「立つる操を破らじと 屋敷を脱けて数々の 憂き目を凌ぎ都路へ 上って聞けば其の人は 吾妻の住まい㉖と聞く悲しさ

又も都を迷い出て いつかは巡り逢坂の 関路を後に近江路や 美濃尾張(みのをはり)㉗さへ定めなく 恋し恋しに目を泣き潰し 物の文色(あいろ)も水鳥の 陸(くが)に彷徨ふ悲しさは いつの世いかなる報いにて 重ね重ねの嘆きの数 哀れみ給えとばかりにて 声を忍びて嘆きける

岩「さて哀れな話 然し男旱(ひでり)も無え世界㉘に エエ気の狭え女だな イヤモしゅんだ話で気が滅入った 寝酒でも食べ気を晴らさう イヤナニ女 暇(いとま)をくれる 立帰れ
雪「ハイハイ 有難うござります 左様ならばお客様もうお暇申します
駒「オォ朝顔とやら大儀であった 初めて聞いた身の上話 もし其の夫が聞くならば さぞ満足に思うで有ろう ノウ岩代殿
岩「左様左様
雪「ハ是はマァ ご親切な御言葉 有難う存じます と

杖探り取り立ちながら 蟲が知らすか何とやら 耳に残りし情けの言葉 名残惜しさに泣く泣くも 心は後に探りゆく 折しも奥より若侍

侍「ハ最早余程の深更(しんかう)に及び候 御両人共に早やお休み
岩「いか様 明日は正七つの出立 いざ駒澤氏 お休みなされぬか
駒「イヤ 拙者は暫し用事もござれば 御構い無くとも先ずお先へ
岩「左様ならばお先へ と

立ち上がりしが 胸に一物 心を後に奥の間へ 伴われてぞ入りにける 行く間遅しと駒澤 手を鳴らして女を呼び

駒「コリャコリャ 徳右衛門に急々対面したし 呼んでくりやれ と

言ひ付け遣り 旅硯(たびすずり)㉙の墨擦り流し 以前の扇押し開いて 何か書付け用意の金子(きんす)㉚ 薬の包み取認(とりしたた)める 程も無く 廊下伝いに来懸る亭主 それと見るより手を支え

徳「エエ只今召しましたは何の御用でござります
駒「オオ徳右衛門 折入って頼みたきは 先刻の朝顔と云ふ女を 呼び寄せてたもるまいか
徳「はい畏まりましてはござりますが 彼は直に清水と申す方へ参りました 御用事ならば呼びには遣はしませうが あゝどうで今夜のお間には
駒「フムはて残念至極 身は正七つの出立 よくよく縁の
徳「エエ何と御意なされます
駒「アイヤ徳右衛門 今の女に謝礼の為 此の三品を其の方に しっかりと預け置く間 朝顔が参らば 渡してくりやれ
徳「はいはい オオ是やマァ夥(おびただ)しいお金 其の上結構な女子扇お薬までも
駒「オオサ 其の薬は大明国㉛秘宝の目薬 甲子(きのね)の年㉜に出生せし男子の生き血を取って服すれば 如何なる眼病も即座に平癒(へいゆ)㉝ 朝顔に渡してくりやれ
徳「是は是は何から何まで お心を籠められた下され物 参り次第相渡し 悦ばしますでござりましょ と

受け取る折しも時計の七つ

駒「ム彼(あれ)は七つの刻限(こくげん)㉞と 数ふる内に岩代多喜太 装束改め旅出立ち 同勢引き連れ立出て

岩「いざ駒澤氏 出立仕ろう と

勧むる言葉に次郎左衛門 衣服繕ひ立出づれば 見送る亭主が暇乞い 心そぐはぬ駒澤岩代 打ち連れてこそ出でていく 後見送って徳右衛門

徳「ハァ 同じ侍でも黒白(こくびゃく)の違ひ 意地くね悪い岩代に引替え 情け深い駒澤様 あゝ天晴れの侍ぢゃな ヤ其れはそうと 朝顔に今夜の礼にはそぐわぬ下され物 ハァ何ぞ様子の有りそな事と

思案の折から 深雪は何か気に懸り 座敷仕舞うてうとうとと又立ち帰る切戸(きりど)㊱の内 徳右衛門目早に見て

徳「オオ朝顔か 遅かった遅かった 宵のお客様がも一度呼びに遣ってくれいと仰れど 清水へ往たと聞いた故 お断り申したれば 今のお先お立ちなされたが 然しマァ悦びヤ 大枚のお金と扇 また結構な目薬 わが身に遣ってくれいと お預けなされたわいの
雪「エエ是は マァマァ冥加に余る事 お礼申さいで残り多いが モシモシ旦那様 此の扇に何ぞ書いてはござりませぬか 一寸(ちょっと)見て下さりませ
徳「オオどれどれ エエ 金地に一輪朝顔 露の干ぬ間が書いてある
雪「もう他に何ぞ書いてはござりませぬか
徳「ウウ待ちや待ちや 裏に宮城阿曽次郎事駒澤次郎左衛門と書いてあるぞや
雪「エエ何 宮城阿曽次郎事駒澤次郎左衛門 と其の扇に
徳「オイの
雪「ハハァ はッとばかりに俄かの仰天 エエ知らなんだ知らなんだ 知らなんだわいな 道理でよう似た声と思うたが そんならやっぱり阿曽次郎様であったか 申し申し旦那様 其のお客様は いつお立ちなされたえ
徳「オオ今の先の事ぢゃが 我が身は又 御馴染か
雪「エエ馴染みどころか年月尋ぬる夫でござんすわいな 斯う言ふ内も心が急く 跡追いついて唯一言 と行かんとするを引き止め
徳「あゝコレコレ まぁあぁ待ちや待ちや エエ折悪う雨も降りだし 此の闇に独は危ない危ない
雪「イエイエイエ たとえ死んでも厭(いと)ひはせぬ 放して放して
徳「ササ 其れはそうでも盲目の身で危ない危ない
雪「イヤイヤ 放して放して と

突き退けはね退け杖を力に降る雨も いつかな厭はぬ女の念力 跡を慕うて追うて行く


解説


①原作である「生写朝顔日記」を書いた近松徳三の事。

②物思いに耽って淋しい様子。

③室内に立てて部屋を仕切ったり目隠ししたりする家具。

④いろいろな書画などをとりまぜてはること。また、そのようにした屏風・襖。

⑤深雪の父。秋月弓之助。

⑥時節。おり。ころ。

⑦宿場。宿駅のある街道。えきろ。はゆまじ。

⑧前段(文楽・歌舞伎)において、岩代と悪医者祐仙に毒を盛られそうになったのを機転を利かせて助けた事。

⑨楽に合わせてうたうこと。琴・琵琶などの旋律を口でうたうこと。

⑩文字の書きぶり。筆跡。

⑪中国地方広島の芸州岸戸。

⑫話の相手になって機嫌をとったり退屈を慰めたりすること。

⑬ふさいだ気分を晴らすこと。うさ晴らし。気晴らし。

⑭仏のような慈悲深い心がある事。

⑮前段で岩代は駒澤を毒殺しようとした。

⑯鼓を打ち三味線を弾いたりして歌をうたい門付けをする盲目の女芸人。民謡・俗謡のほか説経系の語り物を弾き語りする。

⑰心のひねくれた人。素直でない人。悪人。

⑱日本庭園で歩行のために置かれる石。通常は扁平な石を用いる。人の歩幅に合わせ園内の順路にそって配置される。

⑲人の道にはずれてむごいこと。非道なこと。不人情。

⑳心「尽くし」と筑紫箏(箏の一種)をかけている。

㉑箏の上から高い三種の音。

㉒現代筝曲創始者の八橋検校のこと。

㉓士農工商に外れた人。

㉔京都の宇治。

㉕大阪。

㉖関東に住む人。

㉗身の終わりに「美濃」「尾張」をかけたもの。

㉘男縁の尽きない業界。

㉙旅行に携帯する小さい硯。

㉚金銭・おかね・貨幣などの古めかしい言い方。

㉛中国の明朝。

㉜干支の一つ。十干の初めの甲と十二支の初めの子が合する年または日。

㉝病気が治ること。

㉞明け七つ。現在の午前四時頃。

㉟くぐり戸をつけた小門。