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「太田道灌・上」

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あらすじ

太田道灌は室町時代後期の武将で江戸城を築城した名将だが勇猛でこそあったが文芸には暗かったという。ある時、狩りの帰りに雨に遭い高田の里の辺りで賤が屋(あばら家)の軒に立ち雨を凌ぐため蓑(みの)を所望したところ、賤女(しずのめ)は一輪の山吹の花を差し出し「みの一つだになきぞ悲しき」と古歌を用いてこれに応えた。

その歌の意味を得なかった道灌は蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。実は後拾遺和歌集の「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」の歌に掛けて山間の茅葺きの貧しい家であり蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと老臣から教わった。道灌は古歌を知らなかった事を恥じてこの時から歌道に心を寄せたという-。

詞章


日の影の 長閑(のどか)に霞む春の野に あさる雉子(きぎす)①の啼く声も 高田の里の方辺(かたほとり) 松の木陰に苔蒸せし 賤が伏屋の詫住居(わびずまい) 折掛垣(おりかけがき)に山吹の 今を盛りと花咲いて 黄金(こがね)の色を見すれども 生計(くらし)貧しき畑作が畠仕事に蓑笠を 鍬(くわ)に結い附け門へ出て

畑作「彌生の頃の花曇り 兎角の雨の降り勝ちも 四刻(よつ)②から思はぬ天気になったが 南が東に吹き変わり③ 雉子(きじ)が頻りに啼くからは 後には雨になるであろう 先ず用心に蓑笠を邪魔でも畑へ持って行き 降らぬ内に呻(うな)って来やうか 雲りし空を打ち仰ぎ 鍬を担(かた)げて畦道(あぜみち)④を 横折れてこそ急ぎ行く

治にいて乱を忘れず⑤と 遊猟(いうれふ)を名に近郷(きんがう)の 山林田畑巡回なし 太田道灌持資(おおたどうかんもちすけ)が 従者を連れて狩座(かりくら)に 携う弓の弦巻⑥や 茂る矢竹の目白台 今日の獲物も大塚より 戸塚へ渡る姿見の 小橋に近く青柳の 糸の春雨降出でて 雨の調度の七曲(ななまがり) 高田の里の片陰に 道灌寸時休らい給い

道「今朝曇りしも巳(み)の時⑦より 空麗かに晴れ渡り 緑に霞む秩父山 心長閑に近郷へ 小鳥狩に赴きしが 思はぬ雨の降り出だし 野掛(のがけ)の興を失なえり 疾く疾く雨具の 用意致せ ハッと心得供なせし 安達三郎此方なる 竹の折戸(をりど)へ立ち寄って

安「此家の内へ案内申す

案内なせば応(いら)えさへ 玉を転(まろ)ばす鶯の 声麗しく立ち出る 少女は年も十三四 未開の花の紅に 緑の髪を結い下げて 古(ふり)にし衣(きぬ)は纏えども 由(よし)ある者の身の末と 言はでも知れし褄はずれ 何の御用と尋ぬれば 

安「今日主人遊猟に この近郷を狩り給ひしが 俄の雨に難儀致す 雨具を借用申したし 

ハッとばかりにやや暫時(しばし) 少女は何の応えもなく 垣根に咲きし山吹を 一枝手折り門に立つ 安達が前へ差し出せば 心ならずも手に取りて

安「雨具の用を申し附けしに 有無をも言はず山吹を 一枝手折りて出せしは
少女「御覧の通りの賤が家故
後言差して恥じらへば 

安「唖(をし)⑧かと思へば口を利き 返事をせぬは分からぬ奴 ただしは武士を嘲弄(てうろう)⑨致すか 目に門立つれば 老親の治部少輔重頼(ぢぶのせうかうしげより)が 

重「イヤ安達殿 お待ちなされ 今山吹の一枝を少女が出せしは返事でござる
安「何 返事とは
重「此の家に雨具が無きと言ふ申訳でござりませう
安「ムム コレ少女(をとめ) それに相違ないか
女「ハッ お恥ずかしう存じまする

雨を帯びたる海棠(かいだう)の⑩ 風情に少女は賤が家へ会釈溢(こぼ)して入りにける 智勇兼備(ちゆうけんぴ)と称されて 武には長ぜし道灌も 文には浅く山吹の 少女が心暁(さと)り得ず 合点行かざる面持にて

道「今の少女が山吹の この一枝を出だせしは 如何なる事かと存ぜしに 重頼意(こころ)を察し得て 雨具が無きかと申せしは 定めて仔細の有る事ならん 疾く疾く語り聞かせよと 

仰せに ハッと跪き

重「少女は和歌を嗜み居るか 申し訳の山吹ナ 古歌の意でござりまする 
道「何 古歌の意とは
重「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき と 花は咲けども山吹ナ 実を結ばざるもの故に 実のに蓑をなぞらえて 蓑一つだに無きと云う 申し訳にござりまする

古歌の意(こころ)⑪を説き諭せば

道「アラ面目なき事なるかな 我乱世に人となり 壮年⑫よりして武を励み 文に疎く殊更(ことさら)に 和歌の道を心得ざる故 少女が意(こころ)悟り得ず 今日其方供なさずば 末世へ恥辱を残すであろう 然るにても 今の少女は如何なる者の娘なるか いと奥床しき事なるぞ 
重「仰せの如くその身には 古びし衣を着(ちゃく)せども 言葉の賤しからざるは 由ある者と存じられます 

道灌空を打ち仰ぎ

道「未だ雨も止まざれば 此の家を借りて休息なし 元何者にありつるか 事に寄そへて問糺(とひただ)さん
重「スリャ我君には 賤が家にて
道「其方参って宿りを求めよ 「ハハァ

主名受けて重頼が 折掛垣の簀戸(すど)開けて 内へ入れば茅屋根(かややね)⑬の 軒端(のきば)傾き壁破れて 見るも訝(いぶ)せき賤が家の 竹縁(ちくえん)⑭近く進み寄り 案内乞へば小柴焚く 囲炉裏の傍に以前の少女 此方に年は六十路(むそじ)の上 二つ三つ四つ超ゆるぎの 額へ磯の浪寄る老女が 居りて出で迎へ

老「身受けますれば御武家様 何の御用でござりまする
重「今日主人小鳥狩りに此の近郷へ入らせられ 思ひ懸けなき村雨に殆ど難儀致すゆえ 雨具を借用いたしたし
老「それはお易(やす)い事なれど 御覧の通りの詫住居(わびすまい) 壁は落ち畳は破れ 餘り見苦しうござりますれば
重「いやいや それは暫時(ざんじ)の内の御休息ゆえ 苦しからず
老「其さへお厭ひなされませずば
重「然らば借用致すでござる

言ふ声洩れて外面(そとも)より 道灌先に入り来る従者 さあさあ是へと上座(かみくら)へ 花御座敷いて敬へば 草履(わらんず)の紐とくとくと 設けの席へ坐したまふ 老婆は下座に手を仕へ

老「見上げますれば御大身(ごたいしん)様 むさ苦しいあばら家へ 恐れ多うござりまする
道「俄に振りし村雨に 宿りを求むる家も無く 図らず難儀致したり 暫く此処を借りるぞよ 仰せにハッと辞儀(じぎ)なせば 少女は爐辺(ろへん)⑮に湯を試みて 茶筅(ちゃせん)⑯投じもしとやかに 手前優しく茶を立てて 昔床しき緋服紗(ひぶくさ)に 茶碗を載せて 差し出だせば

道「こは何よりの馳走(ちそう)ぞと礼儀正しく飲み終わり 
道「是は至極の服加減 少女が手前感心致す 見ればあれに琴があるが かかる辺鄙の賤が家に似合はしからぬ風雅な品 由ある者と推察致す
老「いいえ 氏も素性もござりませねど 若い折に武家方へ御奉公致しまして 琴を学びました故 是なる孫へ教へますのでお目に留まってござりまする
道「茶の手前が優れしからは 琴の調べも然こそあらめ 雨の晴れ間を待つ間 これにて一曲 所望致す 
女「是は思いも寄らぬ事 賤が拙き調べをば 何とてお聴き入れられましせう 是はお許し下さりませ 

と言ふに重頼言葉を添へ

重「能ある鷹は爪を隠すと 卑下(ひげ)⑱なす心ぞ奥床し
安「雨の調度の参るまで 是非とも君へお聴きに入れよ
老「それ程までに仰るを御辞退申すは却って失礼
女「左様なれらば恥し乍ら 

傍(かたへ)の琴を取り出だし 調べ優しき十三の⑲調子合わせて掻き鳴らし
世の中に 水の流れと人の身の 浮き沈みある儚さよ 花の盛りに愛でられし 桜も風に散り行けば 誰か見返る人も無く 物憂き秋に散り残る 照葉もいつか落ち葉して 袖に時雨や雪霜を 凌ぐや春の日の影に 花咲く時を 待ちやしつらん 

道「ホホゥ 唱歌と云い調べと云い 都人も及びなき乙女が筝曲 感心感心
女「身に余りたるその仰せ 有難う存じまする 琴掻いやりて控ゆれば
道「少女に褒美を遣わしたいが 路次の事ゆえ合紋に火打袋(ひうちぶくろ)⑳を遣わし置く 明日にも屋敷へ持参せよ 褒美の品を遣わさん 

火打袋を重頼へ 渡したまへば取り次いで

重「君より下さる褒美の合紋㉑ 有難く頂戴せよ
女「拙き調べが御意に叶い 思い設けぬこのご褒美

冥加に余る賜物と 老母も供に悦びける 実にや智仁の良将が 恵む情の深緑 松の千代田に今も尚 残る誉れぞ久しけれ

解説


①キジの事。

②明け四つ=午前10時くらい。

③風の向き。

④田と田の間の細い道。

⑤中国古典孔子の『易経』より。平和な世にいても万一のときに備えることを怠らないという教え。

⑥掛け替えのための予備の弓弦(ゆみづる)を巻いておく籐製の輪。弦袋。弓弦袋。

⑦明け四つ、明け四つ半の事。

⑧口がきけないこと。聾唖(ろうあ)。

⑨馬鹿にしてなぶること。あざけりもてあそぶこと。

⑩美人が雨にぬれた海棠の花(バラ科の落葉小高木)のようにうちしおれている可憐な様子の例え。海棠の雨を帯びたる風情。

⑪後拾遺和歌集の「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」の歌に掛けて山間の茅葺きの家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えた事。

⑫心身ともに成熟して働き盛りの年ごろ。

⑬茅葺屋根(茅で屋根を葺く屋根)。

⑭竹材を並べて張った縁台・縁側。

⑮囲炉裏。

⑯抹茶をたてる時かきまわして泡を立てたり練ったりする竹製の具。

⑰茶道具をぬぐい清めたり茶碗その他の器物を扱うのに用いたりする絹布。劇中は緋色の物。

⑱自分を劣ったものとしていやしめること。へりくだること。

⑲箏の弦は十三ある。

⑳道中用の腰に下げた復路。皮袋の下に火打鎌をつけて袋の中には火打石と火口を入れたもの。巾着の元となった。

㉒そろいの紋。