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「楠公・櫻井訣別」

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あらすじ

建武三年、怒濤の如く東上してきた北朝方足利尊氏の数十万の軍勢に対し、その20分の1ほどの軍勢しか持たない朝廷(南朝・後醍醐天皇)方は大騒ぎとなった。新田義貞を総大将とする朝廷方は兵庫に陣を敷いていたが楠正成(くすのきまさしげ)は義貞の器量を疑い、現状況で尊氏方の軍勢を迎撃することは困難なので和睦するか、一旦は都を捨てて比叡山に上り空になった都に足利軍を誘い込んだあと兵糧攻めにするべきだ、と後醍醐帝に進言したが聞き入れられず正成は死を覚悟し湊川の戦場に赴くことになった。

西国街道の「櫻井(さくらい)の驛(えき)」に差し掛かった頃、正成は数え11歳(今作中では十歳未満)の嫡子正行(まさつら)を呼び寄せて「お前を故郷河内へ帰す」と告げた。「最期まで父上と共に」と懇願する正行に対し正成は「帝のために身命を惜しみ忠義の心を失わず一族朗党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授け今生の別れを告げたるのだった-。

古典文学『太平記』の名場面の一つで、この訣別は湊川の一門戦死と共に萬代不朽の悲劇として語り継がれている。明治40年正月に新春の新曲として十四世家元六世文字太夫、二世文字兵衛(松壽斎)合作の本作は「大楠公」もしくは「櫻井の訣別(こわかれ)」と通称されるが、昭和5年に菊三郎が新たな詞章で作曲し若柳流舞踊会で上演した「小楠公」も存在する。

詞章


清き名を 千代に傳(つた)えて菊水①の 流れ久しき湊川② 楠流の幕張は 実(げ)に勇ましき 備えなり ここに楠正成は 鎧直垂(ひたたれ)③美々しくも 懃然(きんぜん)として座を構え 従者を近く招きたまひ

正成「最前 申付けし如く 満一④には正行を伴ひ 急ぎ来れと申されよ
従者「畏って候

彼方の幕に打向かひ

従「いかに恩地殿 若君の御供申し 急ぎ御前へ御参りあれとの 御事にて候
満「心得て候

恩地左近は若君を 誘ひ御前に手を支え

満「ハハ 若君の御供申して候

威儀⑤を正して正成は

成「いかに正行 只今父が申す事 よくよく承れよ と顔つくづくと打見やり
某が申す事 余の儀にあらず 此の度の出陣こそ 正成討死すべき時こそ至れり 正行其の方は満一を伴ひ

千早⑥へ還り身を慎み

成「上を敬ひ下を哀れみ 某が意志(こころざし)を継ぎ 必ず忠節忘るるな

是を此の世の別れと思ひ 急ぎ故郷へ還られよ

成「又満一には 正行の成長を頼むなり と言い聞かすれば正行は 父の御顔打ち守り
行「仰せ謹んで承り候 然(さ)りながら弓前の家⑦に生れ 父の最期を余所に見て 誰に面を向くべきぞや 只召し具させ給わりたし
成「小賢しき事を申す者かな これ皆朝廷の御為なれば 疾(と)く疾く千早へ還り候へ
行「いかに仰せらるるとも 罷(まか)り帰る事成り難し
成「ヤァ 斯程(かほど)まで父が申す事に従はざるや この上は我が心腹を 語って聴かせ申すべし 楠 席を改めて

成「さても逆徒尊氏兄弟⑧ 西海より大軍を率ゐ上洛すべき由 叡聞(えいぶん)⑨に達し 急ぎ正成に馳せ向ひ 義貞と力を協わせ追伐すべし との勅定(ちょくぢゃう)⑩なり 然(さ)はあれど 疲れたる官軍⑪にては存じも寄らず 恐れながら正成存ずるは 糧道(りゃうだう)を断ち 義貞と内外より責め候はんに於いては 必定御勝利(ひつぢゃうごしょうり)疑あるべからず と申上ぐると云えども 坊門(ぼうもん)殿⑫の支言(ささへ)にて 既に防戦に定まる事 偏(ひとへ)に天運の極まりなり アァ嘆きても余り有り

良薬口に苦し 忠言耳に逆う⑬と云ふ

成「其の故事を覚り給ひし 藤房郷⑭には世をのがれ 今正成が門出も

引きは返さじ弓取の 弥猛心⑮の節清く 世を諫めんと思ふなり 獅子の子を産みて 三日を経(ふ)る時は 数千丈(すせんぢゃう)の巌より 之を投げて試るに その子獅子の気力あらば 宙より跳ね返りて 死せずと云へり

成「祝(いわ)んや正行十歳に余りぬ 一言耳に留まらば此の教誡(けうかい)⑯に違はざれ 我討死と聞くとても嘆きを止め 何方までも朝敵を平らげて 聖運⑰の開けん事を思ふべし

生命の有らん其程は 帝居を守護し奉り 汚名を残す事なかれ 生先(おひさき)思ふ撫子に 懸かる涙や楠の露 時しも頃は五月雨の 古枝も茂る下草の 雫にしぼる袖袂 春は暮れにし櫻井の 名にだに有りて朽ちざるは 石に化(な)るてふ楠の葉の 恨みも何か天離(あまさか)る 鄙人(ひなびと)⑱までも哀知る 恩愛(おんない)⑲親子主従の 別れの御酌仕らん

銚子土器(てうしかはらけ)取り持ちて 恩地左近が御酌に 暫し時をぞ移しける 斯くて時刻も移るなる 疾く疾く還れと潔き 仰せに従ふ主従は 尽きぬ涙の瀧つ瀬や 流れも清き河内の国へ 還るも孝行止まるも 忠義の道の守護神(まもりがみ) 畏き例しぞ有難き 畏き例しぞ有難き

解説


①楠木正成の旗印。

②神戸市の六甲山に源を発し大阪湾に注いでいた川。湊川の戦いの古戦場。

③上衣と袴からなる武家の衣服。

④老臣。恩地左近満一。

⑤いかめしく重々しい動作。立ち居振る舞いに威厳を示す作法。

⑥千早城。楠木正成が金剛山の西側(大阪府南河内郡千早赤阪村)に築いた山城。

⑦武家。

⑧足利尊氏・直義兄弟。

⑨天子がお聞きになること。

⑩天子がみずから定めたこと。天子の命令。勅命。

⑪ここでは南朝。後醍醐天皇軍。

⑫坊門 清忠(ぼうもんきよただ)。南朝の公卿。

⑬ことわざ。『孔子家語』より。

⑭万里小路藤房(までのこうじふじふさ)。後醍醐天皇の側近。平重盛・楠木正成とともに日本三忠臣の1人に数えられている。

⑮いよいよ勇み立つ心。猛々しくはやる心。

⑯おしえいましめること。

⑰天子の運命。皇運。

⑱田舎の人。里人。

⑲夫婦・肉親間の愛情。それに対する執着。

⑳水の激しく流れる瀬。滝。滝のように止めどない涙を表している。