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「狐火・奥庭」

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あらすじ

本朝二十四孝(ほんちょうにじゅうしこう)は文楽・歌舞伎における大作の一つで常磐津では「奥庭狐火の段」を元に当作品が作られた。

甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は往年の宿敵だが将軍足利義晴の仲介で両家の子息令嬢(勝頼・八重垣姫)は許嫁だった。謙信は武田勝頼(たけだかつより)を暗殺しようと刺客を送る。八重垣姫(やえがきひめ)はそれを阻止しようと謙信が信玄より預かったままでいる重宝「諏訪法性の兜」を手にする。諏訪湖が凍り張りつめると「狐渡り」という一筋の線が生まれるという伝説がある。姫は八百万の白狐の力を借りて愛する勝頼に身の危険を知らせに氷上を走るのだった-。

歌舞伎では三姫の一人に数えられる八重垣姫の物語である。ちなみに稀曲ではあるが常磐津には八重垣姫が許嫁の勝頼切腹との悲報を受け菩提を弔うため十種香を焚いて回向(えこう)する、前段の「十種香」も伝わっている。

※三姫=「八重垣姫(本朝廿四孝)」、「時姫(鎌倉三代記)」、「「雪姫(祇園祭礼信仰記)」。

詞章


思ひにや 焦がれて燃ゆる野辺の狐火① 小夜更けて狐火や 狐火野辺の 野辺の狐火 小夜更けて 幾重洩れ来る爪音②は 君を設けの奥御殿 此方は正体涙ながら

八「アレ あの奥の間で検校③が 歌ふ唱歌④も 今身の上

お愛しいは勝頼様 かかる巧みのあるぞとも知らず 図らぬ御身の上 別れとなるも無情(つれ)ない父上 諌めても嘆いても 聴き入れも無き胴慾心(どうよくしん)⑤ 娘不憫と覚すなら お命助けて添はせてたべと 打ち伏して嘆きしが

八「イヤイヤ 泣いては居られぬ所 追手の者⑥より先へ廻り 勝頼様に此の事⑦を 御知らせ申すが近道の

諏訪の湖船人に 渡り頼まん急がんと 小褄(こづま)⑧取る手もかひがひしく 駈け出だせしが

八「イヤイヤイヤ 今湖に氷張り詰め 船の往来(ゆきき)も叶はぬ由 徒路(かちぢ)⑨を往ては女子(をなご)の脚 何と追手に追い付かれう

知らすにも知らされず みすみす夫を見殺しに 為(す)るは如何なる身の因果⑩

八「アァ 翅(つばさ)が欲しい 羽が欲しい

飛んで行きたい知らせたい 逢ひたい見たいと夫恋(つまごひ)の 乱るる憂き思ひ 千年(ちとせ)百年(ももとせ)泣き明し 涙に命絶ゆればとて 夫(つま)の為には得(よ)もなるまじ 此の上頼むは神佛(かみほとけ)と 床に祀りし法性(ほっしゃう)の 兜⑪の前に手を仕へ

八「此の御兜は諏訪明神⑫より武田家へ 授けたまはる御宝なれば 取りも直さず諏訪の御神 勝頼様の今の御難儀 助けたまへ救いたまへと 兜を取って押頂き 押頂きし面影の もしやは人の咎めんと 窺ひ降りる飛び石⑭伝ひ 庭の溜りの泉水⑭に 映る月影 怪しき姿 ハッと驚き飛び退きしが

八「今のは確かに狐の姿 此の泉水に映りしは ハテ面妖⑮な

とドキつく胸撫で下ろし 撫で下ろし 恐々ながらそろそろと 差し覗く池水に 映るは己が影ばかり

八「たった今此の水に 映った影は狐の姿 今また見れば我が面影 幻と云ふ者か 但し迷いの空目とやらか ハテ

怪しやと取つ置いつ 兜をそっと手に捧げ 覗けば又も白狐(ぴゃっこ)の形 水に在々(ありあ)り有明月(ありあけづき) 不思議に胸も濁り江の 池の水際にスックリと 眺め入って立ったりしが

八「誠や当国 諏訪明神は 狐を以って使はしめと聞きつるが 明神の神体に等しき兜なれば 八百八狐附き添うて 守護する奇瑞(きずゐ)⑯に疑ひなし オォそれよ 思ひ出したり 湖に氷張り詰むれば 渡り初めする神の狐 其の足跡を知る辺にて 心易う往来う人馬 狐渡らぬ其の先に 渡れば水に溺るると 人も知ったる諏訪の湖

たとへ狐は渡らずとも 夫を想ふ念力に 神の力の加わる兜

八「勝頼様に返せとある 諏訪明神の御教え ハハ ハハハハ忝(かたじけな)や有難やと 兜を取って頭(かうべ)に被(かつ)げば 忽(たちま)ち姿は狐火の 此処に燃え立ち彼処にも 乱るる姿は法性の 守護する不思議の有様 飛ぶが如くに走り行く

解説


①キツネがともすとされる淡紅色の怪火。狐の提灯行列・狐の嫁入りとよばれ数多くの灯火が点滅しながら横に連なって行進する。

②お箏を爪弾(つまび)いている事。

③当道座の一番上の位。 参考:用語集

④琴・琵琶などの旋律を口でうたうこと。

⑤非常に欲の深いこと。むごいこと。非道。

⑥父親謙信が許嫁の勝頼に放った刺客。

⑦同上。

⑧着物のつま。

⑨歩いて行く旅。

⑩参考:仏教用語

⑪謙信が信玄から預かって返さないままでいる武田家の宝。

⑫諏訪大社。

⑬日本庭園で伝い歩くために少しずつ離して据えた表面の平らな石。

⑭庭先につくった池。いずみ。

⑮不思議なこと。あやしいこと。

⑯めでたいことの前兆として起こる不思議な現象。吉兆。