HOME > 戻橋

「戻橋」

modoribashi.jpg

あらすじ

源頼光(みなもとのよりみつ)の四天王(頼光四天王)の一人である渡辺綱(わたなべのつな)は主君の為に源氏重代の刀「髭切丸(ひげきりまる)」を携えて京都一条にある戻橋に差しかかった折、見目麗しい若い女が真夜中に独りで立ち往生しているのを見つけ送って行こうとする。

水面に映る影はまさしく鬼の形。どうもこの女は人外のものであるようだと綱は「踊りをみてみたい」と言い女に舞わせる。その本性を突きつめ遂に正体を見破り鬼女の片腕を切り落とし見事に退散させるという件。

明治維新後、近代社会に相応しく改めようと提唱された「演劇改良運動」の流れで、劇聖と謳われる九代目市川團十郎は江戸歌舞伎の荒事を整理して「新歌舞伎十八番」を、五世尾上菊五郎は「新古演劇十種」を、二世市川猿之助は「猿翁十種」などを制定した。常磐津伴奏のものとしては、新歌舞伎十八番に「大森彦七」「紅葉狩」、猿翁十種には「悪太郎」「独楽」、そして今作品「戻橋」は「羽衣」「身替座禅」と共に「新古演劇十種」に加わっている。
また、鬼女が片腕を取り返しに来るのを兄弟刀の膝切丸(ひざきりまる)で再び退散させる後日譚は長唄舞踊「茨木(新古演劇十種)」である。

ちなみに、源氏の歴史と供にこの兄弟刀は名を変えて伝承されてゆくのだが、今作品の「髭切丸」も「友切丸」と名を変え、七世團十郎が制定した「歌舞伎十八番」の一つ「助六所縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)」において曽我五郎が侠客「花川戸助六」に身をやつし探し求めたのもこの刀である。

詞章


夫(そ)れ普天の下 卒土(そっと)の濱(ひん)① 王土②にあらぬ所なきに 何処に妖魔の棲みけるか 睦月③の頃より洛中④へ 悪鬼現れ人を取り 夜は往来(ゆきき)の人も無し 然れば内裏の警衛に 都へ上り源の 頼光朝臣(あそん)は暇なく 去る頃深く語らひし維仲卿(これなかきゃう)⑤の姫君へ 便りもなさで存(おは)せしが 今日しも渡邊源次綱 使ひに立ちし帰り路(かえりみち) 卯の花咲いて白々と 月照り渡る堀川の 早瀬の流れ落ち合うて 水音凄き戻橋

綱「武威たくましき我君も 恋は心の外にして かねがね語らひたまひける 維仲卿の姫君へ 密々の仰せ蒙(かうむ)りて 路地の用意に御秘蔵の 髭切の御太刀賜りしは 武門の誉れ身の面目 片時(へいじ)も早く⑥立帰り 彼(か)の御方の御返事を 我が君へ申し上げん

夜更けぬ内と主従が 行かんとなせし後より ひと吹き落す青嵐に 岸の柳の騒がしく 心ならねば振り返り

綱「ハテ心得ぬ 妖怪出づる取沙汰に 夜に入りては表を閉ざし 男子すら通行せぬに 女子の来るは訝(いぶか)しし

さては我等を威(おど)さんと 姿を変えて妖怪が 此処へ来ると覚えたり 幸いなるかな討取手って

綱「「君へ土産(どさん)に参らせん

二人の者に打囁き 機密を授け退けて

綱「己れ妖怪 御参なれ

太刀引き側(そば)め⑦仄暗き 木下蔭へぞ入りにける
又 叢(むら)立ちし 雨雲の蔭洩る月を縁(よすが)にて 辿る大路に人影も 火影(ほかげ)も見えず我が影を もしや人かと驚きて 被衣(かつぎ)⑧に身をば信夫摺(しのぶずり)⑨ 狭布(けふ)の細布⑩ならずして 女子心に胸合わず 思い悩みて来たりける

早百合「卯月⑪の空の定めなく 降らぬ内にと思へども 此処は一条の戻橋 見れば行き交ふ人も無く

アァ 更(たよ)りもなやと佇みて 寸時(しばし)休らひ居たりける 綱は木蔭を立ち出て

綱「女性は何れへ参られるぞ
早「妾(わらは)は一条の大宮より 五条の辺へ参りまするが ただ一人ゆゑ夜道が怖く 此処に佇み居りました
綱「怖いと申すは尤もなり 五条の辺りへ参るとあらば 某(それがし)送って遣そう
早「御言葉に従ひますれば お伴ひ下さりませ

折から空の雲晴れて 月の光に見交わす顔

綱「ハテ 嬋妍(あでやか)⑫な

水に映りし影を見て

綱「ヤヤ今水中へ映りし影は  早「エエ
綱「夜更けぬ内にいざ疾く疾く

西へ廻りし月の輪に⑬ 遠く望めば愛宕山(あたごやま) 北野は近く清滝の⑭ 森を越来る時鳥(ほととぎす) 初音床しく振返り 見上ぐる顔にはらはらと 樹々の雫も雲運ぶ 雨かと寸時(しばし)立ち休らひ

綱「歩き馴れぬ夜道にて さぞ草臥(くたび)れし 事ならん
早「イエ 妾より貴方こそ 足弱(あしよわ)⑮をお連れなされ 御草臥れでござりませう
綱「暫く是で 憩われよ

連立つ道に馴れ易く 今は隔ても中空の 朧も春の名残かな

綱「都人とは云ひ乍ら いとも優しき形(なり)風俗 御身が父は何人なるぞ
早「父は五条の扇折 舞を好みて舞ひし故 妾も幼き頃よりして 教えを受けしが身の徳に 此の程までも某(ある)御所に お宮仕えを致しました
綱「恥ずかし乍ら某は 未だ舞を見たる事なし 一曲(ひとさし)舞うて見せられまいか 早「お送り下さるその御礼に 只今御覧に入れましょう

女性は扇借り受けて 会釈を零(こぼ)し進み出で

空も霞みて八重一重 桜狩する諸人が

群れつつ此処へ清水⑯や 初瀬⑯の山に雪と見し 花の散り行く嵐山⑯ 惜しむ別れの春過ぎて 夏の初めに遅れにし 花も青葉に衣替え⑰ 樹々の緑の美しや

綱「イヤ 面白き事なりしぞ 斯かる技芸のある者を妻に持ちなば好(よ)き楽しみ 言ふを此方は好機(よきしほ)と

早「定めて貴方は奥様を 御持ちなされてでござりませうな
綱「未だ妻は娶(めと)らぬが 見らるる通りの無骨者 誰も妻に為(な)り手が無い
早「何 無い事がござりましょう

御情け深き御心に 今宵見(まみ)えし妾さへ 縁(えにし)を結ぶ露もがな⑱ 思ふ恋路の初蛍 言出(いひい)て兼て胸焦がし⑲ 若葉の闇に迷ふもの 都女臈(ぢょらふ)⑳は取り分けて 姿優しき花菖蒲(はなあやめ) 引きつ引かれつ澤水に 袖も濡れにし事ならん

綱「それは御身の思違(おもひたがへ) 斯かかる名も無き田舎武士 誰が想いを懸けやうぞ
早「イエイエ 立派な御名故に
綱「何 立派な名とは
早「当時 内裏を警衛に 都へ上りし源の頼光朝臣の身内にて渡辺源次綱殿ゆへ
綱「ャ如何(いかが)致して その名をば
早「恋しく思ふ殿御ゆゑ 疾くより存じて居りまする
綱「恋しく思ふと言ふは偽り 御身が我が名を存ぜしは 妖魔の術であらうがな

星を指されて打ち驚き

早「何 妖魔の術とは
綱「眉目(みめ)好(よ)き女に化するとも 其の本性は悪鬼ならん
早「何と
綱「汝は心附かざりしが 月の光に映りたる影は怪しき鬼形なりしぞ
早「ヤヤ
綱「其の本性を顕(あらは)せよ

言ふに妖女も忽ちに 憤怒の相を顕せば 後ろに窺(うかが)ふ郎党㉑が 観念せよと組附くを 事ともなさず振り拂ひ
我は愛宕(あたご)の山奥に 幾歳(いくとせ)棲みて天然と㉒ 業通㉓得たる悪鬼なり 車輪の如き目を見開き 炎を吐きし有様は身の毛もよだつばかりなり

綱「さてこそ悪鬼で有りしよな
鬼「いで此の上は汝をば 我が隠れ家へ連れかん
綱「小癪な事を

引立て行かんと立懸れば 綱は生捕(いけどり)くれんずと 勇力振ふ時しもあれ 一天俄かに掻き曇り 震動なして四方より 黒雲覆い重なりて 綱が襟髪(えりがみ) むんづと掴み 砂石(させき)を飛ばす暴風に 連れて虚空へ引き上ぐれば 髭切の太刀抜き放し 鬼の腕(かひな)を斬り拂い どうと落ちたる北野の廻廊(くわいらう)㉔ 悪鬼は叢がる雲隠れ 光を放ちて失せにけり

解説


①点の覆う限り地の続く果てまで、の意。

②天子の領土。

③陰暦の正月。

④京都の中。

⑤平維仲。

⑥少しでも早く。

⑦刀の束に手をかけて切る用意をする事。

⑧女性が外出時に顔を隠すため頭からかぶった衣。

⑨奥州信夫の名産。忍草を用いて染めたもの被衣に身を忍ぶとかけたもの。

⑩奥州から貢納された幅の狭い白色の麻布。狭布のこと。幅が狭く不足するところから「胸合はず」「逢はず」などの序詞に用いる。

⑪陰暦4月。

⑫上品で美しい様子。

⑬月が東から西へ回ったのを地名「月ノ輪」にかけたもの。

⑭北野=北野天満宮。清滝=愛宕山麓を流れる川。

⑮女の事。

⑯いずれも京都近郊の桜の名所。

⑰花が散って青葉になるのを、袷から単衣に衣替えすことにかけたもの。

⑱今宵お目に懸った私ですがキッカケがあれば縁を結びたい、の意。

⑲蛍の光を胸を焦がす火に例えて煩悩する事。

⑳上臈。身分の高い女官。禁色をゆるされた大臣の娘・孫など。

㉑家来の事。

㉒何年も山に籠る内に自然に妖術を得た事。

㉓参考:仏教

㉔(北野天満宮の)建物・部屋・中庭の周囲に巡らされた長くて屈折した歩廊。