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「沼津・印籠場」

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あらすじ

日本三大仇討の一つであり、歌舞伎・文楽で有名な「伊賀越道中雙六(いがごえどうちゅうすごろく)」より最も有名で人気のある「六段目」を素浄瑠璃の作品として常磐津に取り入れられた作品。通称「沼津」。上中下に分かれており「沼津上」「印籠場」「平作腹切」と呼称されるのが一般的である。

上・沼津
雲助である「平作(へいさく)」は娘「お米(およね)」と共に沼津で辛く侘しくも生活していたところに「十兵衛(じゅべえ)」がお米の美貌に惹かれて訪ねてくる。実は十兵衛は平作が昔、他家に養子にやった実の息子であった。老足のため石に躓き爪を剥がした平作に十兵衛は所持していた霊薬をわけてやる。

中・印籠場
澤井股五郎(さわいまたごろう)の奸計によって負傷した夫「志津馬(しづま)」の看病をしていたお米は、父の傷を治した霊薬が欲しさに出来心で、十兵衛の枕元にあった印籠「薬入れ」を盗もうとしてしまう。父親平作はそれを責めるが十兵衛は父娘の心をくみ取って、わざと金を置き印籠を忘れたふりをして立ち去る。

下・平作腹切
律儀一徹の平作は金と薬を握って十兵衛の跡を追う。千本松の闇の中で追いついた平作は十兵衛に怨敵沢井又五郎の行方を教えろと迫る。先の印籠の霊薬は代々澤井家に伝わるものであり何やら十兵衛は志津馬を負傷させた股五郎と縁があるらしい。遂に平作は十兵衛の腰の短刀を抜き自らの腹に立てて冥土に行く自分だけに行方を教えてくれと懇願する。十兵衛はひどく心を揺さぶられ背後にお米が居るのを知りながらも又五郎の行方を教えるのだった。

詞章


<印籠場>
お米は獨(ひとり)物思ひ 心に懸る夫の病気 我が手で介抱する事も 浮き世の義理に隔てたれ 秋の蛍の消え残る① 佛壇(ぶつだん)の燈(ひ)も細々と 嵐にフッと気の付く娘

米「奇妙に治った父様(ととさん)のあの疵(きず) 今でも敵(かたき)の手掛りが知れてから あの病気では思ひも寄らず ムム

と心で頷き胸を据ゑ 燈(ひ)の消えたるは天の興(あたへ)② 夫の為と抜き足差し足探り寄り 印籠③取り上げ立ち退く足 躓く音に 目覚ます十兵衛 思はず高声

十「何者

と裾を捕えて引き止むれば ワッと泣き入る娘の声 平作も吃驚(びっくり)し 起き上がっても真暗(まっくらがり)

平「お米 お米

と言ひつつ探す竈(かまど)の埋火(うづみび)④ 附木(つけぎ)⑤に移し顔見合わせ

平「汝(われ)ゃ娘ぢゃないか 印籠持って オオ 旦那様か エエ 何ゆゑに此の有様 何の因果で此の様な 情け無い気に成ったぞやィ 情け無い気に成ったぞやィ コリャ此の親は其の日暮らしの者ぢゃけれどナ 人様の物 半錢(もじきなか)⑥盗まうと思ふ気は出さぬわやィ 盗まう気は ダダダダ出さぬわやィェエ

親の顔まで汚し居ったとワッとばかりに泣き居たる 十兵衛は気の毒顔

十「アイヤ 金銀を取ったと言ふではなし 是には譯(わけ)の有りさうな事

と問はれてお米は顔を上げ

米「恥ずかしながら聴いて下さりませ 様子あって言ひ交はせし良人(をっと)の名は申されぬが 私ゆゑに騒動起こり其の場へ立ち合ひ 手疵(てきず)を負ひ

一旦本復(いったんほんぶく)あったれど 此の頃は頻りに痛み

米「種々(いろいろ)介抱尽くせども 験(しるし)なく立ち寄る方も

旅の空 此の近所で御養生 長しい間に路用も尽き 其の貢身の周り櫛 笄(かうがい)⑦まで売り拂い

米「最前もお聴きの通り

悲しい銀(かね)の才覚も 男の病が直したさ

米「先程のお話に金銀づくでは無いとの噂 燈火の消えしより

彼の妙薬を エエどうがなと思い付きしが身の因果⑧ どうぞお慈悲にコレ申し 今宵の事は此の場限り お年寄られしお前にまで 苦労を懸けし不孝の罪

米「今日や死なうか

翌(あす)の夜は 我が身の瀬川⑨に身を投げて と思ひし事はエエ幾度か 死んだ後でもお前の嘆きと 一日暮らしに日を送る どうぞお慈悲に御了簡と 吾妻育ちの張り⑩も抜け 恋の意気地に身を砕く 心ぞ思ひ遣られたり 嘆きの端々つくづくと聞き取る十兵衛

十「コレ姉御 そんなら此方様(こなさん)は江戸の吉原で全盛の 松葉屋の瀬川殿ぢゃの
米「ハイ テモよう御存じ
十「フム スリャ瀬川殿の良人(をっと)の為に ムゥ

と心の目算(もくさん)思案を極め

十「イヤ 大夫殿⑪ 良人の手疵を治す薬 サ欲しいは道理(もっとも) 其れ聞いては進ぜたい物なれど 是は人の預かり物 此の事は頓(とん)と思ひ切らしゃれ 今此方衆(こなたしゅ)の話の通り 私も亦(また)恩を受けた サ其の恩を受けた人の為に 何れの寺でも苦しう無いが 石塔一つ寄進⑫がしたいが何と世話をして下さるまいか

平「ャ其れは 御奇特 ァァ結構な寄進でござります 何時なりともお世話致しませう 私も来年は嚊(かか)が年忌 勧むる功徳さへ倶(とも)に成佛とやら 是非お世話致しまするでござります
十「サどうぞ今度の下りまで 違わぬ様に頼みます かねての願いに書付も 此の内に精(くは)しうござる

と金一包み取り出し

十「コレ 必ず頼んだぞや親子の衆 最早夜明けに間も無し 随分無事に親仁殿(おやぢどん)

と立出づれば 平作も

平「モシ旦那 必ずおくだり待ちまする
十「コレ姉御 年寄った親ぢゃぞや 随分大切(だいじ)に 然(さ)らば

とばかりにて心に一物荷物は先へ 道を早めて急ぎ行く 後に親子は顔見合わせ 金取り上げて

平「コレお米 随分大切に懸けて置きや 夜明けまでは間もある サ其方も休みや

と水入らず 見廻す傍に落ちたる印籠

平「あゝ是は今の旦那のぢゃ 定めて尋ねてござるであらう

と言ふにお米が手に取って

米「此の印籠はどうやら覚えのある模様 ハテ合点の行かぬ 

其れか是かとよくよく眺め

米「オオ 本にそれよ 是や澤井股五郎⑬が常々持ちし覚えの印籠

ハテ 不思議やなと平作も 金取り出し能(よ)く見れば

平「金子三十両 何此の書附は エエ 鎌倉八幡宮氏地の生れ 幼名(をさなな)は平三郎 母の名はお豊 是ゃ是我が子に附けて置いた書附

米「そんなら今のお方は 私が為には兄様(あにさん)か
平「オォ我が子の平三(へいざ)⑭で有ったかやィ そんなら最前からの親切は 其れとは知らず此の金を 貢いでくれた石塔代

不思議の縁と親と子は 暫時(しばし)呆れて居たりしが お米は印籠手に取って裾端(すそばせ)折って駈け出だす

平「コリャ待て汝ゃ何処へ
米「何処へとは父様 此の印籠を持って居る其の兄様は敵の手懸り 跡追っ懸けて股五郎が在処を尋ね 志津馬(しづま)様へ
平「オォ道理じゃ 道理ぢゃが汝ではいかぬわィ 年寄ったれども此の平作 理を非にまげても⑮言はして見せう 汝も続いて後から来い モどの様な事があってもナ 必ず出なよ 敵の在処聞くまでは 大切の場所ぢゃ 木蔭に忍んで立聴きせい 必ず共に粗忽(そこつ)すな ゥゥ合点か 合点か 本街道は廻り道 三枚橋⑯の濱伝ひ 勝手覚えし抜道を

と 子ゆゑに迷ふ三悪道⑰ 轉(こけ)つ轉(まろ)びつ ドッコイショ 走り行く
後にお米は身拵(みごしら)へ 続いて出でんとする所へ 折から来懸る池添孫八(いけぞへまごはち)

孫「瀬川様か
米「オォ孫八殿⑱ よい所へ御座んした 今宵此処に泊まった客で 敵の手筋が知れたさうな 詮議の為 父様が後追うて行かしゃんした
孫「イヤ 忝(かたじけな)い シテ 其の行く先は

吉原まではよも行くまい 何彼(なにか)の様子は途次(みち)にて聴かんと 瀬川に続く池添も 脚に任せて慕ひ行く

解説


<印籠場>
①光が衰えて哀れな様子。

②自然の恵み。

③薬入れ。

④灰に埋めてある火。

⑤種火を点ける薄い木片。

⑥塵一つ。一文でも。

⑦髪飾の一種。

⑧参考:仏教

⑨お米が以前、吉原で働いていた頃の名前「瀬川」同様に川の中に身を投じて、という意味をかけている。

⑩江戸(都会)育ちの勝気。

⑪参考:遊郭

⑫神社仏閣に寄付すること。

⑬お米達の仇の名。

⑭十兵衛が養子に出される前の名。

⑮何としてでも。

⑯沼津城の旧跡地。

⑰参考:仏教

⑱志津馬の家来。