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「お光物狂」

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あらすじ

文化10年(1813)に「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」の舞台を江戸に移した「お染久松色読賑」が作られ、一人の役者が登場人物7名を七変化の早変わりで演じ分ける趣向の大切浄瑠璃「心中翌日噂(お染の七役)」が常磐津出語りで上演された。

文久年間(1861‐1863)には更に三世瀬川如皐によって加筆された常磐津の素浄瑠璃作品「初恋路千種濡事(はつこひちぐさのぬれごと)」が四世古式部によって上・中・下の段ものとして作られる。素浄瑠璃は元より舞踊にも降り附けられたが、現在では上「お染久松土手場の段」・中「お光物狂の段」しか現存していない。

油屋を駆け落ちしたお染と久松の行方を鉦や太鼓で向島の土手を捜しまわる追手の中に、久松の義理の親久作も入っているが両人の姿は一向見当たらない。

悪人である鬼門の喜兵衛と油屋の番頭善六とが吉光の宝刀を横取りし、偽物を掴まされた久松がその罪を負って心中を謀ろうとするのが上の段「土手場」で、下の段「お光物狂」は、久松の許嫁のお光が恋ゆえに狂乱となり船頭と矢取女に介抱を請ける場面である。

また、作中登場する「油屋」は大阪東堀瓦屋橋の質店である油問屋で、常磐津作品「油屋(伊勢音頭恋寝刃)」に登場する伊勢古市の妓楼「油屋」とは異なる。

詞章

篠を束ねて突く様な雨①に 濡れ夕立の空晴れて

お竹「オォイ長吉さん 一緒に行くから待っておくれなよ

川辺浮き立つ納涼船(すずみぶね) 名代名打②の揚弓に 矢取娘③の仇者は お客の的もそんじょそれ 船を舫(もや)ひて舟公は 
芸者の口を約束の 飽きられて散るや木葉の私が身にも 仇な嵐が吹くわいな

長吉「畜生め 心意気を遣りやがる 其の通りだらう
お竹「オヤ 御気の毒

味に絡んで駒止④の 石原近く浮かれ来る

長「矢的屋のお竹さん 両国へ店を出しながら 此の河岸通りへ 廻り道かえ
竹「其れでも先刻(さっき)の夕立で 夜店も張って居られぬ故 中の郷の姉さんの所へ 用足しに行った帰り掛
長「其の中の郷が 怪しいな怪しいな
竹「イイエ 私よりお前こそ 何と思って今頃に 此の川端を唯一人で
長「ハテお前も知って居る 山家屋の別荘まで旦那を送り 船は小梅⑥の締切へ頼んで置いて 両国までの行掛けだ マァ何にしても好い所で逢った 話して行きな

と夕潮の 彼方の川辺に声々に「気違い⑦よ 気違いよ
囃し立てられ道芝に 露の涙の託草(かこちぐさ) 男故にや狂ふらん

結びてし 効も縁の糸萩を 散らす野分の轉てや辛や 行方何所(ゆくへいずく)と白露の お光が心乱れ髪 さらさら更に分く方も 泣いてひぐらし夫蟋蟀(つまこほろぎ)は 野暮とやらぢゃと笑ふは花の 八重に色付き一重に開く 此方の心は酌みもせで 余所に交わして妹背草

盛りも見せで散るならば 共に連れてはくれもせで エェ憎い程なお川の面 水に仲好き浮寝鳥 二人は其と立寄って

竹「ソリャ此の子が野崎村のお光さんかえ
長「然うよ 久松殿の許嫁の
光「何ぢゃ 久松さんぢゃ と胸づくし
長「アァ是サ どうするどうする
光「エェ 聞えぬわいなァ 久松様

派手な噂を聞いてさへ 癪といふものつひ覚え
在所産れの私でも 許嫁すりゃ女房ぢゃもの 悋気の仕様は知りながら 言はで月日をくよくよと 松に時雨のお染さん 連れて共々駆落ちと 聞いて身も世もアラ憎や 我が夫返せ憂き人を 其所か此所かと追風に 姿しどなく伏し轉(まろ)ぶ

長「此奴ァ飛んだ掛合だわえ
竹「可哀想にどうぞして 気の鎮まる御守りは御座んせぬかえ
長「然よなァ 守札(まもり)と言ては何も無い 水天宮様と此の間 先達から大山⑧の守り太刀⑨ 是で悪魔をサッパリと

祓い清め奉る お御嶽石尊大権現 抱いて念願上首と 君が袖褄彦山讃岐に どうぞ逢夜を松山も 先ぢゃ白峰 伯嗜(はうき)に御苦労大山 葛城夜山にしっぽり中宿へ 山上大峯釈迦が嶽

虚假(こけ)⑩の行者の御祈念に慎みたまふと加持しける お光はすッくと

光「アレアレアレ ソレソレソレ

恋しき人を都鳥⑪ ありやなしやと現(うつつ)なく 止めるを拂ひ振切って 當所(あてど)も波の川岸を 狂ひ慕うて走り行く

長「コレコレ姉さん 待ちねえよ
竹「それぢゃと言ってあの様に 気が違って居るものを
長「それだから危ねえわなオイ 姉さんオイ姉さん

伸び上がるを 引き寄せて

竹「お前も余ッ程 浮気者だね

女子さへ見りゃ誰彼の 本に嫌ひも夏木立 あの柳湯へ行く度に 気休め口を真に受けて 夫と思うて染め浴衣 ままに鳴海の比翼紋⑫ 末は互いにどうして斯うしてと 辛気仕覚も女気の 明けて言はれぬ胸の内

察してくれたがエェ好いわいな へへなぞと体好く其方から 船の舳(みよし)と突き出して 乗り替へ船か送り船⑬ オヤ止してもおくれと果てし無き 川辺に漕ぎ寄る筏より 息吹き返し善六が

善「アァ苦しい アァ苦しい 汝(うぬ)はお染久松 遁がさぬぞ と藪から棒⑭
長「ャ汝や 悪玉の善六だな
善「然う言ふ己は若竹の長吉か
長「好い所へうしやァがったな
善「二人の奴等は何所へ遁した お染やいお染やい
竹「其の様な事は知らぬわいな と言う間に落ちたる手紙を見付け
竹「オヤ面白さうな此の文は
善「オット 大切の其の手紙
竹「サァ 取って見やれ 「サァ取って見やれと差し出せば
長「ドッコイ其の文 取らんとすれど腰が立たぬ
竹「蛙の様にヒョイヒョイとお飛び
善「ヒョイヒョイと飛ぶぞ ヒョイヒョイヒョイ 蛙一とひょこ三ひょこひょこ
長「油屋お染がジョナジョナジョナ じょなめく
善「番頭様は這はう這はう
長「此奴は妙見柳嶋
竹「久しい松の 白蛇で参りませう
長「へいこで
善「ちょん
長「へいこで
善「ちょん
長「へいこでへいこで
善「チョチョンがチョン チョンチョンチョン

追い掛け廻る其の内に 以前の手紙の封を切り

長「シテ 其の名宛は
竹「善六殿へ横島彌仲太
長「宝の行方を詮議の手懸り 是や好物が手に入ったわえ
竹「寮にござんす旦那の所へ
善「持って行かれてたまるものか

気を揉む折から大川へ 屋台囃子の大茶船 囃子に連れて善六を 小梅の寮へぞ

長「よいやさ
善「オ痛 オ痛 オォ痛タタタ

連れて行く

解説

①夕立。強く雨が降っているさま。

②有名。

③小弓で的を当てる遊びを江戸時代の江戸では「矢場」、京阪では「揚弓場」と言い、若い女(矢取娘)を置いて客を引いた。

④本所尾上町の北にある駒止橋の事。

⑤上記そばの石原町。

⑥中の郷村近くの村。

⑦本来は発狂した人間、著しく常軌を逸した人間。転じて統合失調症患者、知的障害者、または理性が欠如した者に対する差別用語とされ現在は用いられないが、江戸時代には失恋などの後天的要因により気が触れた登場人物を差し、浄瑠璃や歌舞伎などで多々登場し、物狂い、狂乱などと同義で用いられる。

⑧神奈川県大住郡の高山。

⑨不動明王の利剣に模したもの。

⑩多く事物の真相・本質を指摘するために事物の内容・現象・状況・成分や人の言論・行為などが事実に合っていないことを述べる場合の)うそである、ごまかしである、見せかけである。

⑪伊勢物語より。

⑫男女の紋を一緒に合わせて染めたもの。

⑬吉原通いの客を乗せて隅田川から日本提(吉原上手)に送り込む舟。

⑭藪の中から突然に棒を出す意から、突然に物事を行うさま。だしぬけ。唐突。