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壱・・玖・拾


大正7年(1918)
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常岡鑛之助(九世小文字太夫・のちの七世文字太夫)の長男として、常岡晃(のちの八世文字太夫)が誕生。

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祖父である常岡丑五郎(六世文字太夫・のちの二世豊後大掾・前列右)も待望の初孫に喜ぶ。前列左は豊後大掾妻キヨ。

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九世小文字太夫の兄である政太夫と晃。

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当時、常磐津家元には番頭と庭師、使用人の人々が大勢いて家元を支えた。

大正15年・昭和元年(1926)
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歌舞伎座で七世文字太夫(左)・二世豊後大掾(右)の襲名披露演奏会が盛大に執り行われる。

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豊後大掾とは、常磐津家元文字太夫が朝廷より受領して名乗る留め名(上画像は四世文字太夫が嵯峨御所から受領し初世豊後大掾となった時のもの)。豊後三流の筆頭である常磐津節が頭取を預かる所以となっている大名跡。

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演奏会の番組。

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第三期歌舞伎座。正面に七世文字太夫。

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江戸時代から常磐津家元が居を構える日本橋檜物町も町中が賑わった。

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歌舞伎座に展示された所縁の品々。

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市川宗家と常磐津宗家の関係を説明した書(七世市川團十郎の門人、五世市川門之助筆)。柿色の肩衣の所以などが説明されている。

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お祝いの品々。

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流派一門をあげての大演奏会だった。

昭和2年(1927)
1-8b昭和3年、第1期常磐津協会設立。.jpg

第一期常磐津協会の創設。

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七世文字太夫が初代会長となる。二世豊後大掾は六世古式部と共に相談役となり、常磐津宗家家元と三味線方岸澤家とが完全に和解する。

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演奏風景。日本橋城東倶楽部にて。

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日本橋の芸者衆に稽古をつける七世文字太夫(右から四番目)。城東倶楽部。

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左から四人目が七世文字太夫。日本橋芸者衆と。

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前列左から四人目が豊後大掾。

昭和3年(1929)
1-9a昭和3年12月12日、東京音楽学校における御大典御前演奏記念。.jpg

東京音楽学校(現・東京藝術大學)における御大典御前演奏記念。12月12日。

昭和5年(1930)
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二世豊後大掾歿。多くの門人を育て流派を広げ、明治期の歌舞伎作品を多く手がけた偉大な家元であった。

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大森の万金にて。最前列右から四人目が幼き八世文字太夫。その左が豊後大掾夫人きよ、七世文字太夫次男豊(文蔵)、豊後大掾、七世文字太夫。後列の右から三人目が二世猿之助(猿翁)夫人。柳橋の弟子と(原文から転載)。

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七世文字太夫(中列真中)と、当時の演奏家達。

昭和6年(1931)
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七世文字太夫により「常磐津教則」が制定される(現在は八世文字太夫が言葉を和らげ編集しなおしたものを御名取の儀で用いている)。

昭和9年(1934)
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七世文字太夫が会主となり、二世豊後大掾追善の大演奏会を歌舞伎座にて催す。

口上を市川三升(十世市川團十郎)、六世尾上菊五郎、七世坂東三津五郎、四世市川男女蔵(三世左團次)が述べる。

「子宝三番叟」を六世尾上菊五郎・七世坂東三津五郎といった近世の名人二人が踊り、のちの人間国宝三世市川左團次が「松島」を、日本舞踊最大流派である花柳流二世家元花柳壽輔(壽應)が「老松」で出演した、歴史に遺る大規模な追善会だった。



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