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年表
















宝永6年 1709


宮古路文字太夫(駿河屋文右衛門・のちの初世常磐津文字太夫・常磐津六世家元)生誕。のちに宮古路豊後掾の養子となる。






享保年間 1716 1745
八代将軍徳川吉宗が享保の改革を行う。






享保7年 1722


男女相対死(心中)を脚色することが法令で禁じられる。






享保15 1730


都国太夫半中、宮古路豊後と改名。






享保17 1732


宮古路豊後、名古屋に向かう。一説では徳川御三家尾張藩七代藩主徳川宗春を頼ったとも言われている。






享保19 1734


宮古路豊後、名古屋にて「睦月連理玉椿」上演。大好評を博す。





高弟文字太夫を名古屋に残し江戸に進出。掾号を受領し宮古路豊後掾橘盛村となる。






元文3年 1738


宮古路豊後掾、江戸を去り京阪に戻る。文字太夫は江戸へ向かう。






元文4年 1739


宮古路豊後掾の髪型・長羽織・長煙管を真似る「文金風」が流行し、得意とした道行を真似て心中するものが増加。





あまりの人気を懸念した江戸北町奉行(行政・司法)より、豊後節(文字太夫)は全面的に禁止、弾圧を受ける。






元文5年 1740


宮古路豊後掾、歿。






延享2年 1745


宮古路加賀太夫が富士松薩摩を名乗り脱退(新内節遠祖)。






延享3年 1746


宮古路文字太夫、門弟と共に宮古路豊後掾七回忌の石碑(現存)を浅草寺に建立。






延享4年 1747


宮古路文字太夫が「三千両の顔見世(二代目市川団十郎・初代沢村宗十郎・初代瀬川菊之丞)」に参加。





宮古路から関東文字太夫、そして初世常磐津文字太夫と改名し、常磐津節を創流。






宝暦3年 1753


初世文字太夫、市村座「鐘入妹背俤」で花道から本舞台へ入るという演出が話題になる。






明和3年 1766


二世宮古路園八が宮園鸞鳳軒と号す(宮園節始祖)。






安永4年 1775


初世文字太夫、隠居していたが中村富十郎の要望により、森田座で一世一代の浄瑠璃「樹花恋浮船」を上演。






安永6年 1777


初世清元延寿太夫(二世富本斎宮太夫・清元節始祖)生誕。






天明元年 1781


初世文字太夫歿。40年近く江戸三座に出勤し、歌舞伎伴奏としての常磐津の地歩を盤石に固めた。






天明3年 1783


初世文字太夫三回忌追善浄瑠璃「其面影松桜」が中村座で上演。






天明7年 1787


初世兼太夫(越後屋佐六)、初世文字太夫遺族から一代限りの条件で、二世文字太夫(常磐津七世家元)を名乗る。






寛政4年 1792


二世小文字太夫(三世文字太夫・常磐津八世家元)生誕。






寛政11 1799


二世文字太夫、数々の名曲を残し、歿。






文化元年 1804


三世小文字太夫(四世文字太夫・初世豊後大掾・常磐津九世家元)、曾祖父である初世文字太夫が居を移した日本橋檜物町に生誕。






文化5年 1808


三世文字太夫、元服し七世市川團十郎の弟分となる。






文化13 1816


河竹黙阿弥生誕。






文政2年 1819


三世文字太夫、歿。若くして家元を継いだが早世する。






文政5年 1822


四世小文字太夫(五世文字太夫・常磐津十世家元)生誕。






文政6年 1823


三世小文字太夫、元服式で七世市川團十郎が烏帽子親となる。






文政13 1830


三世小文字太夫、「元祖宮古路豊後掾百年・文字太夫五十年」と銘打ち、名披め会を開催。






天保9年 1838


劇聖・九世市川團十郞生誕。






天保12 1841


六世小文字太夫(佐六文中・常磐津十一世家元・初世豊後大掾の実子)生誕。






天保13 1842


七世小文字太夫(のちの名人林中・常磐津十二世家元)生誕。






天保15 1844


常磐津男女門弟640名、各弟子総じて6000人を超える。





五世 尾上菊五郎(團菊佐)生誕。






嘉永3年 1850


四世文字太夫が嵯峨御所から掾号を受領。初世豊後大掾藤原昶光と名乗る。






嘉永4年 1851


八世小文字太夫(六世文字太夫・二世豊後大掾・常磐津十四世家元)生誕。






安政元年 1854


黒船来航。






安政4年 1857


全段常磐津出語り「三世相錦繍文章」完成。






安政5年 1858


四世小文字太夫、五世文字太夫を名乗る。





桐生新安、五世小文字太夫を名乗る。





初世豊後大掾、確執が生じ五世文字太夫を離縁する。






文久元年 1861


示談により常磐津家元文字太夫家と三味線方岸澤家が分裂。






文久2年 1862


初世豊後大掾、現存する常磐津の多くを残して歿。常磐津歴代家元の眠る広尾祥雲寺に祀られる。






明治元年 1868


明治維新成立。





六世小文字太夫、常磐津と初世家元伊藤出羽掾(初世岡本文弥)の頭文字をとり、苗字を得る。






明治2年 1869


常磐津女流門弟、総出で江の島大明神大祭参りに赴く。





六世兼太夫歿。離縁こそされたが、かつては非常な美男子で八世團十郎と人気を争ったという。






明治5年 1872


佐六文中が若くして没する。以降は妻ツネが名義を預かり能く流派をとりまとめる。






明治8年 1875


太夫文中(預十二世家元・佐六文中妻ツネ)、常磐津一門総出で江の嶋弁財天に参詣する。






明治18 1885


七世小文字太夫ほか一門総出で、浅草金龍山浅草寺伝法院に参詣。






明治22 1889


八世小文字太夫、開場されたばかりの第一期歌舞伎座に専属で起用されることが決まる。





のちに東京音楽学校(現東京藝術大学)の嘱託となる。






明治30 1897


九世小文字太夫(七世文字太夫・常磐津十五世家元)生誕。






明治35 1902


白井松次郎・大谷竹次郎兄弟が松竹(まつたけ)合名会社を設立。






大正7年 1918


十世小文字太夫(八世文字太夫・常磐津十六世家元)生誕。






昭和2年 1927


第一期常磐津協会創立。二世豊後大掾・六世岸澤古式部が相談役、七世文字太夫が初代会長となる。






昭和15 1940


七世文字太夫が数百の曲を編纂し、正式な常磐津詞章集である「定本常磐津全集」を発刊。






昭和22 1947


十一世小文字太夫(現九代目文字太夫・常磐津十七世家元)生誕。






昭和44 1918


八世文字太夫、第二期常磐津協会会長に就任。






昭和56 1981


常磐津節が重要無形文化財総合指定の認定を受ける。





八世文字太夫を中心に常磐津節保存会が発足。八世文字太夫、常磐津節保存会初代会長となる。






昭和51 1976


五世小文太夫(現九代目文字太夫)が、十一世小文字太夫を襲名。






昭和57 1982


十二代目小文字太夫(六世小文太夫)生誕。






平成3年 1991


八世文字太夫文字太夫逝去により、十一世小文字太夫が常磐津十七世家元となる。






平成6年 1994


十一世小文字太夫、九代目文字太夫を襲名。






平成17 2005


九代目文字太夫、常磐津協会会長に就任。






平成22 2010


九代目文字太夫、常磐津節保存会会長に就任。





定本常磐津全集の復刊事業、過去の演奏者名鑑作成事業(文化庁補助事業)に着手する。






平成25 2013


六世小文太夫、十二代目小文字太夫襲名。




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